現在29歳の著者古市氏は賞味期限が切れかけつつあるものの「若者代表」の立場で発言しているようなのですが、自分が歳とともに変化していった果てにおじさんになることに自覚がないのって本当に若者の特権なんだなと思います。氏の話には若者がソーシャルメディアなどで「つながる」という話が度々出てくるのですが、あくまで若者同士の横のつながりなんですね。「おじさん」や老人や子供が位相を変えた別の自分であって、彼等とも縦方向につながって社会を築いていくという気はどうやら頭に無いっぽいのです。
氏の著書では若者の新たなライフスタイルとしてダウンシフターズ(減速生活者)という人々が紹介されていました。彼等はお金への執着が薄くて、生活するための最低限のお金だけを稼いだら後は好きな事をやって時間を過ごすのだそうです。中には農業をやって自給自足で生活するダウンシフターズもいるそうな。
ところが、このダウンシフターズについて語る際に「でも彼等は隔離されて閉じているのではなく、スマホやパソコンで社会とつながっている」ということを著者がしきりに強調するのがすごく不思議に思えたのです。全体的にダウンシフターズはユルそうで賛成なのですが、ソーシャルメディアなどで人とつながっていることがそこまで強調するほど重要なことなのかな?と僕には思えたのです。
そんなことを考えているときにテレビをつけたら、たまたまヱヴァンゲリヲン新劇場版Qをテレビで放送しているのを見て、はたと閃いたのです。若者にとって、ネットやソーシャルメディアというのは人類補完計画のように機能しているんじゃないんだろうか?と。
当たり前といえば当たり前なのですが、最初のエヴァンゲリオンから20年近く経った今となってはシンジ君がイマドキの若者とはだいぶ乖離してるように見えるのです。なんでこうなるかって、シンジ君のような「自分の存在に悩む内省的な少年」というのは、ネットやソーシャルメディアが人類補完計画のように機能している社会にはあんまりいないんじゃないかと思うのです。
以前も触れましたが、進撃の巨人やONE PIECEみたいにちゃんと丁寧に伏線を回収して終わってくれそうな安心感のある物にしか今の若者は飛びつかなさそうな気がするのですね。だって、wikipediaでなんでも調べられるのが当たり前で育っているんですよ?そんな彼等に、答えの用意されていない謎だらけで悶々としなければいけないエヴァンゲリオンみたいなものがササるようには思えないのですよ。想像ですけど、イマドキの若者がエヴァンゲリオン見ても「なんか謎だらけでよくわかんないけどまぁいいんじゃん?」くらいでサラっと流されそうな気がするのですよ。
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