2014年6月1日日曜日

日本における「信者」とヤンキー度

たぶん高校生くらいの頃からずっとなんですが、村上春樹や坂本龍一やAppleなどの「信者」の方と話すのが僕はすごく苦手なのです。単純な好き嫌いで言うと上記のどれも割と好きな方ではあるのですが、これらの「信者」の方と話しているとなんだかすごく疲れるのですよ。
だって彼らって、「仮にオレが信仰しているものの素晴らしさを理解できないとしても、オレの前でわざわざ***についてネガティブな事を言うのは許さない」という空気を放っているので、それに合わせてさし上げることを暗黙のうちに強要されているような気分になるのです。特にピュアな信者の方ほど自分がそういう空気を振りまいていることに自覚が無い様子なんですが、こういう人と話しているときに限って彼らを怒らせそうなことから順番に思いついてしまうのでホント大変なんですよね。。

さて。信者君達そのものはさておき、今回の本題は「***信者」という言葉で揶揄される方々の信仰の対象はたいていヤンキー度が低いものばっかりだという話です。例えば高木壮太氏によれば村上春樹はヤンキー成分がほぼゼロなんだそうです。これは氏の言うようにほぼ全員が大なり小なりヤンキー的なセンスを持つ我々日本人の中での村上春樹がいかに特異な存在であるかを示唆していると思います。
ざっと思いつく限り「***信者」というのを並べてみても
・スタバ信者
・村上春樹信者
・坂本龍一信者
・無印信者
・Apple信者
・ディズニー信者
とりあえずスタバ、ディズニー、Appleは全部アメリカの物なのでヤンキー成分ゼロってことでいいでしょう。無印と坂本龍一はちょっと微妙な気もしますが、ニトリや小室哲哉と一緒に並べたらどっちがヤンキー成分が低いかは自明でしょう。
こうやって並べてみると、「***信者」という揶揄表現は「無くても生きていくうえで直接困らないもの」に適用される傾向があるようなのです。例えば、「ファミマ信者」とか「吉野家信者」とかっていう言い方あんまりしないですよね?こういう生活感のあるもの(=不可避的にヤンキー的なエッセンスが日本ではついて回るもの)に対しては、例えば「ファミマ派」とか「吉野家派」なんていう言い回しが使われることの方が多いんじゃないかと思うのです。

「無くても生きていくうえで直接困らないもの」というのは簡単な一言で置き換えると「文化」なんですが。「ヤンキー度が低い=自分達の文化にない」物をとりあえず有難がれるのって、よく言われているように世界的にはマイノリティなんだと思います。ええっとこれは、よくある「日本は他国に侵略されたことが無いので、外来文化を『良い物』としてすんなり受け入れる」みたいな話です。
とはいえ一方では、ヤンキー度の低い文化アイコンを信仰することは「日本人=ヤンキー的」というアイデンティティに対する重要な背信行為であり、そういう裏切り行為への呪詛と揶揄を込めて日本人は彼らを「信者」と呼んでるのだと思います。
これら二つの性質をまとめて、日本人の外来文化への接し方を簡単な一言で説明するときに僕は「表面的な器用さと内面的な不器用さ」という言い方をしているのですが。表面的にはAppleでもスタバでもなんでもそのまま積極的に受け入れてオシャレ扱いする反面、それらのヤンキー成分の少ない外来文化の信者に対する呪詛や嫌悪を隠せない内面的な不器用さはやっぱり日本人にしっかり受け継がれているということを、こういう事例を通して改めて確信するのですよ。

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