これを書いているのは神戸から山口に向かう新幹線の中です。なんだか字面が”神戸山口組”みたいに見えてしまいますね。たまに大きな海外出張をすることはあっても、国内出張は年に数回数えるくらいしか無いのですが。たまには国内出張を盛大に入れたいと思って、神戸→山口→福岡を回る出張を入れてみたのです。一方で、今日は会社では職場のコミュニケーション促進を図るためのイベントと称して、ちょっとしたお茶とお菓子が出るお茶会が開催されていたようです。
今の組織になってから結構な時間が経ったけど、まぁ、確かに職場でのコミュニケ―ションが円滑であるとはお世辞にも言い難いのは事実です。でも、その原因は別々の部署から専門性や分野が異なる人達を集めてきて一つの部署を作った所にあるのではないかと思います。つまり、組織の建付け(ハード)にそもそもの問題があるのに、それを小手先の手段(ソフト)で改善しようとすることが根本的に間違っているように僕には見えてしまうのです。なのですが、こういう取り組みに対して後ろ向きな発言をすると嫌がられるんですよね。。
「コミュニケーションの改善」という目標はよいのですが、お茶会を開いたくらいで解決できるんだったらチームビルディングなんてそもそも必要ないですよね?安易に「コミュニケーションの改善」と言う人達は、表面的にはコミュニケーションが重要だと思っているようでいて、実際はコミュニケ―ションをナメているように思えてならないのです。そもそも、彼らはコミュニケーションの改善によってコミュニティが強固になると考えているように伺える節があるのですが、たぶんそれは順番が逆なのではないのではないでしょうか?つまり、まず先にコミュニティがあって、コミュニケーションはコミュニティに付随して発生するのではないでしょうか?
職場のコミュニケーションという文脈で良く出てくる「タバコ部屋コミュニケーション」を例に挙げて考えてみましょう。タバコ部屋というのは、「タバコを吸う」という非常に具体的な目的を共有した人達のコミュニティなのです。別にコミュニケーションしたくてタバコ部屋に集まるのではなく、タバコを吸うためにそこに人が集まってコミュニティが形成された結果として、気が付いたらコミュニケーションが深まっていく…というようなものなのではないでしょうか?だから、「タバコ部屋コミュニケーション」をコミュニケーションの部分だけ取り出して再現しようとするのは本末転倒なんですよね。
一応大人なので代案を提案しておきます。会社の中で時には職制がコミュニティとして体を成さない状態になることはどうしても不可避的に発生してしまいます。そこは仕方ないので、所属組織意外の重層的な人のつながりを作るように努力したほうがまだ意味があるのではないかと思います。例えば、他部署で同じような専門性を持った人と仲良くするとか、趣味が近い人と仲良くするとか…重層的な関係が社内にあれば、もし職制が残念でもまだ会社の中に居場所はつくれるのではないでしょうか?