2024年8月16日金曜日

Sonny Boyと夏休み

これを書いている現在は8月16日です。例年通り、大して何もしてないのにあと数日で夏休みが終わってしまうという焦燥感を味わっているところです。「夏休みになったらアレもコレもできるんじゃないかなー?」と思っていたことの1/3もできずに夏休みはいつも終わっていきますよね。このblogもその1つで、いつも長期休暇の時に1-2本は何か投稿してきたので、さすがに何か1本くらいは書こうと思ってパソコンに向かってはみたものの、気が付いたらぼんやりネットを眺めていました。そしたら、8月16日はSonny Boyというアニメの作中で少年少女達が異世界へ迷い込んだ日だということがTwitter改めXに書いてありました。

そこで今回は、Sonny Boyというアニメについて書いてみようと思います。この作品、決してメジャーな作品ではないのですが、ぜひ一度見ていただきたい作品です。そして、一度でも見たらなぜブレイクしないのかもよく理解できると思います。というのも、全体的にこの作品は「よくわからない」のです。しかし、この「よくわからなさ」に心地良さを感じられる人には絶大なインパクトを残すのです。

以前、NHKでシン・エヴァンゲリオン劇場版の製作過程のドキュメンタリーをやっていたときに庵野監督が「謎に包まれたものを喜ぶ人が少なくなってきてる」と言っていました。確かにここ数年は「鬼滅の刃」や「進撃の巨人」のように、話の展開は波乱万丈でも、ちゃんと伏線を回収しきって終わってくれそうな安心感のある作品が人気を博しています。僕もこれらの作品は面白いと思うのですが、そういう作品ばっかりというのもなんだか寂しいんですよね。

SonnyBoyは2021年の夏に公開された作品です。単なる偶然かもしれませんが、エヴァンゲリオンの最後の劇場作品も2021年に公開されました。僕はこれらの作品に出てくる少年少女達に比べるとすっかり歳をとってしまいましたが、それでもまだ20-30年くらいは生きると思うので、こういう「よくわからないけど面白い物」がある一定の頻度で作られるような社会であり続けて欲しいと願っています。


=== 以下、SonnyBoyについての感想です。作品を見ている前提で書いてあります。 ===


■少年少女達は衣食住には困らない

彼らが学校ごと飛ばされた先の異世界では、少なくとも学校の中にいる限りにおいては8月16日が延々繰り返されます。通常この手の作品だと最初に食料の奪い合いなどが始まるのですが、この作品に出てくる少年少女達は衣食住にはまったく不自由しないどころか、携帯の電波まで普通に使えます。「8月16日=終戦記念日の翌日」という設定には「衣食住には困らなくなったけど、アメリカという影の支配者の管理下で変わらない日常をずっと生き続けている戦後の日本人」が投影されているように思えました。


■音楽や心理描写がほとんど無い

通常、アニメ作品には劇中で音楽がかなりの頻度で使われているのですが、この作品では音楽はほとんど使われず、ここぞという場面だけで音楽が使われるのです。また、この作品では登場人物の内面の心理描写(=独り言)もなければ、設定の説明のためのナレーションも全くありません。これらの特徴は、この作品の「余白が多い感じ」を生み出す上でとても重要なポイントだと思います。


■あちら側の世界で恒久的に人の姿を保てない

学校の外に出た少年少女達は、あちら側の世界の色々な様相を見て回ることになりますが…犬になってしまった人、毎日同じ労働をひたすら繰り返す人、本当に死んでしまう人、世界の一部として取り込まれてしまう人…あちら側の世界では学校の外(=アメリカに管理されない世界)に出てしまうと、結局は人間の姿を保ったまま人間らしく生き続けることができないのです。そのことを理解した瑞穂と長良は最終的に元の世界(=アメリカに管理されない世界)に戻ることを選びます。しかし、戻った先の世界は決して彼らが期待していたような都合のよい世界ではなかったわけです。これはエヴァンゲリオンのTV放送直後の映画作品『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』の最後のアスカのセリフ「気持ち悪い」を思い出しますね。とはいえ、Sonny Boyの終わり方はエヴァンゲリオンに比べたらまだどこかに救いがあると思います。