先日、大阪に住んでいる大学時代の同級生と二人で飲む機会がありました。僕は(外国に行ったりで色々人生おかしくなったけど)日本の田舎企業のエンジニア、一方向こうは都会で外資の国内営業(でも英語なんてぜんぜん使わない)と、お互いにカスりもしない世界で暮らしているので、会ってみると普段の生活の中では(話せる相手がいなくて)誰にも話せないようなことまで含めて色々と話しました。こういう同級生の存在がありがたく思えるのは、なんだかんだいって歳をとったなぁと思いました。
その一方で、お互い40手前にもなると日本人どうしで意見の違いを真正面から議論するのがもう難しくなってしまったのも感じました。というのも、件の同級生の口から「SEALDsとかあんなことやってたって世の中は何も変わらないよ。」という一言が出たのです。このときは特に反論せずにそのまま流したのですが。彼の口からその言葉が出た瞬間に「あー、やっぱりそうなんだ。。」と少しうなだれてしまいました。
彼の言ってることはつまり、「自分の意見を持つということにそもそもこだわりが無くて、自分は多数派に同調していたい」と自己申告しているように僕には聞こえました。おそらく日本人の大半はこういう人達で、安倍政権がこれだけ続いているのもそれが理由なんだろうというのはなんとなく分かってはいたのですが。日本人は普段政治の話を人前でしないので、具体的に面と向かってそういう人に触れる機会が今まで全く無かったのです。だから、いざ実際目の前に現れると「あー、やっぱりそうなんだ。。」と少しうなだれてしまったわけです。
多数決による民主主義という制度は不可避的に「負ける人達」を作り出します。つまり、民主主義という制度は「負ける人達」になることを覚悟の上で自分の意見を主張する人達によって担保されているわけです。政治的立場の違いからSEALDsを批判するのはまだ分からんでもないですが、件の同級生も含めてSEALDsを批判する人達はSEALDsが政治的態度を社会に表明していることそのものを批判したがっているのではないでしょうか。
この話を簡単な一言に言い換えると、日本という国には「市民」がいないのです。いないって言ったら言い過ぎかもしれませんが、「市民」という意識が日本人にはそもそも希薄なのではないでしょうか。ここで言う「市民」というのは独立した個人として自分の頭で考えて政治的態度を決める責任を自身に課した人のことです。
とりあえず自分の知る限りの話ですが、欧州では市民としての意識がない人は大人としてみなされない風潮があります。たとえば、職場でお昼ごはん食べてるときのカジュアルな会話でさえ政治の話はごく当たり前のように出てきます。彼らの世界観では「人は意見が違って当たり前」なので意見が合わないことがほとんどですが、だからといってケンカになったりまではしません。そうやって市民が意見の違いをお互いに主張しあいながら社会を形成しているというコンセンサスがあるので、どこかしら意見の違いを楽しんでいるかのような雰囲気さえ感じます。
「負ける人達」を不必要だする社会を突き詰めると、中国のようにずっと一党(共産党)独裁の政体になります。ネトウヨなどの一部の人々は本気で自民党独裁の政治体制を願っているんでしょうが、日本人の大半は「多数派に同調していたい」のであって、「ずっと同じ政体が続いて欲しい」と思ってるわけではないんだろうと思います。
つまり日本では「『多数派に同調していたい人』が多数派である」のです。だからこの国では、2009年の民主党への政権交代の時のように突然雪崩を打ったように多数派の支持が逆転することがあります。カオス理論で言うところのバタフライ効果のように、蝶の小さな羽ばたき一つが大きな気象変化を起こすようなことがこの国の政治ではしばしば現実に起きてしまうわけです。
ある日突然に極端から極端に振れてしまうというのはあんまりよろしくない気がする反面、まだ振れ幅があるうちは民主主義というシステムがまがりなりにも機能しているとは言えるだろうと思います。これが機能しなくなると戦前の日本のように最後は壊滅的な結果をもたらすというのは歴史が教えているとおりです。
将来選択可能なオプションを残すためにも、いろんな蝶が必要だと僕は思いますよ。
2015年11月29日日曜日
2015年11月1日日曜日
ラグビーに学ぶ日本の国際化
10月中に一回くらいは何か書こうと思っていたのに、気がついたら10月が終わってしまいました。。毎度のことながら書こうと思うネタはいくつか思いつくのですが、大半は何かを批判したり文句言ってたかったりするような内容なので、こういう何かしらネガティブな要素を含む話を文章に書いてみるにはそれなりの勢いというかエネルギーというのが必要でして…ええつまり、ちょっと最近歳をとった自覚がでてきました。前向きな言い方をすると、「大人になった」って言うのかもしれませんね。
さておき、そんなわけで比較的明るい話題としてラグビー日本代表の話をしてみたいと思います。て言っても、気がついたらあの試合(優勝候補の南アフリカに対して歴史的勝利)からもう1ヶ月以上経っているのですね。。もう説明不要だと思いますがこの快挙によってラグビー日本代表、特にあのカンチョーみたいなキャッチーなポーズによって五郎丸という選手にスポットライトが当たりました。
あれだけ持ち上げられながらも、五郎丸という選手には浮ついたところが一つも見当たらないんです。彼のたたずまいはスポーツ選手というよりは武道家みたいに見えます。「紳士のスポーツ」であるラグビーという競技の性格と、どこかしら武道的精神と切っても切れない関係にある日本のアマチュアスポーツの風土が生み出した最高傑作なんじゃないかとさえ思います。
そんなこんなで五郎丸ばかりにスポットライトが当たりすぎのラグビーですが。そこに対して彼はこのようなコメントをしています。ラグビーが注目されてる今だからこそ日本代表にいる外国人選手にもスポットを。彼らは母国の代表より日本を選び日本のために戦っている最高の仲間だ。国籍は違うが日本を背負っている。これがラグビーだ。
もし仮にラグビーの日本代表チームが日本人だけで構成されていたとしても、たぶん五郎丸にスポットライトが当たっていただろうと思います。でも、彼にだけスポットライトが当たってる暗黙の理由の一つに「日本代表に外国人が多すぎる」というのもあるんだろうとは思います。なんとなくそれが分かっているからこそ五郎丸はこのようなコメントをしたのではないでしょうか。
代表選手31人に対して10人が外国人という日本代表のメンバー構成の背景についてはいくらでもネットで探せば出てきますが、つまるところラグビーは伝統的に「所属協会主義」という制度になっていて、外国人でも3年以上当該国に居住していれば代表としてプレーできるルールなんだそうです。
つまり、ラグビーという競技は人種や国籍、出自を問わず、居住している国の選手としてプレーすることが許容されているわけです。その昔、ラモス瑠偉はラグビーの日本代表に外国人が多すぎることに対して「日本代表になるなら自分のように帰化すべき」と言ったそうですが。ラグビーというスポーツに限って言うとこれは的を射た批判とは言えないのでしょうね。
かといって、一回どこかの国で代表になってしまったら、その後で他の国の代表になることはできないルールなんだそうです。だから、日本代表でプレーしている外国人は祖国の代表と日本代表のどちらかを選ぶかという葛藤の末に日本代表を選んでくれたわけです。そして、もっと遡ると、彼らの大半は(おそらく祖国での競争からはじき出された末に)学生時代に日本に留学してきてそのまま日本のラグビーで育ってきた選手なんだそうです。
以前このblogで言及したように、日本人の「グローバル化」はなぜか外向きにしか向かわないのです。例えば「おもてなし」とか言ってる人は日本を訪問してくる外国人に対してホメてもらう事には意識が高いのに、日本の「内側」にいる外国人が日本で快適に暮らせるように支援したり、普通に友達として仲良く付き合ったりすることに対してはほとんど関心が無いように見えます。
だから、色々な葛藤や苦労があった末に日本代表としてプレーしている外国人に対しても残念ながらやっぱり日本人は冷たいですよね。ラグビーに関しては僕は完全に素人ですが、もし仮に代表チームが日本人だけで構成されていたとしたら、日本代表のあそこまでの快進撃は無かっただろうと思います。本当に「おもてなし」するべきなのはまず彼ら「日本のために尽力してくれる外国人」だと僕は思いますし、五郎丸が言いたかったこともたぶんそういう事なんじゃないかと思います。
例えば他のスポーツだと、ラモスのように帰化しないと代表になれないとか、プロ野球やJリーグや相撲のように外国人枠に制約があったりと、外国人選手に関するルールの背景にある理念は「内と外」を区別した上での線引きを設けることのように見えるのですが。
ラグビーというスポーツは競技そのものの理念からして国籍や人種に対してこだわらないので、「外国籍のまま日本の代表としてプレーする」ということが許容されています。「内と外」を線引きするのではなく、「(違うところはあるかもしれないけど)どう混ざって共存していくか」を志向している点ではラグビーの制度こそ「グローバル」時代に沿っているように僕には思えます。
最後に、元ラグビー日本代表の平尾剛氏は本稿と同様のテーマについて論考した末にこのように結んでいます:
「日本人とは?」「国民国家とは?」「スポーツとは?」、これらの問いかけに面と向かって取り組まない限り、この問題の答えは見えてこないだろう。これを踏まえた上での僕の考えは、日本代表に外国籍の選手がいても何も気にしないし、そんなことよりもオフロードパスがどんどんつながる創造的で愉快なラグビーをするチームが見たいということだ。
さておき、そんなわけで比較的明るい話題としてラグビー日本代表の話をしてみたいと思います。て言っても、気がついたらあの試合(優勝候補の南アフリカに対して歴史的勝利)からもう1ヶ月以上経っているのですね。。もう説明不要だと思いますがこの快挙によってラグビー日本代表、特にあのカンチョーみたいなキャッチーなポーズによって五郎丸という選手にスポットライトが当たりました。
あれだけ持ち上げられながらも、五郎丸という選手には浮ついたところが一つも見当たらないんです。彼のたたずまいはスポーツ選手というよりは武道家みたいに見えます。「紳士のスポーツ」であるラグビーという競技の性格と、どこかしら武道的精神と切っても切れない関係にある日本のアマチュアスポーツの風土が生み出した最高傑作なんじゃないかとさえ思います。
そんなこんなで五郎丸ばかりにスポットライトが当たりすぎのラグビーですが。そこに対して彼はこのようなコメントをしています。ラグビーが注目されてる今だからこそ日本代表にいる外国人選手にもスポットを。彼らは母国の代表より日本を選び日本のために戦っている最高の仲間だ。国籍は違うが日本を背負っている。これがラグビーだ。
もし仮にラグビーの日本代表チームが日本人だけで構成されていたとしても、たぶん五郎丸にスポットライトが当たっていただろうと思います。でも、彼にだけスポットライトが当たってる暗黙の理由の一つに「日本代表に外国人が多すぎる」というのもあるんだろうとは思います。なんとなくそれが分かっているからこそ五郎丸はこのようなコメントをしたのではないでしょうか。
代表選手31人に対して10人が外国人という日本代表のメンバー構成の背景についてはいくらでもネットで探せば出てきますが、つまるところラグビーは伝統的に「所属協会主義」という制度になっていて、外国人でも3年以上当該国に居住していれば代表としてプレーできるルールなんだそうです。
つまり、ラグビーという競技は人種や国籍、出自を問わず、居住している国の選手としてプレーすることが許容されているわけです。その昔、ラモス瑠偉はラグビーの日本代表に外国人が多すぎることに対して「日本代表になるなら自分のように帰化すべき」と言ったそうですが。ラグビーというスポーツに限って言うとこれは的を射た批判とは言えないのでしょうね。
かといって、一回どこかの国で代表になってしまったら、その後で他の国の代表になることはできないルールなんだそうです。だから、日本代表でプレーしている外国人は祖国の代表と日本代表のどちらかを選ぶかという葛藤の末に日本代表を選んでくれたわけです。そして、もっと遡ると、彼らの大半は(おそらく祖国での競争からはじき出された末に)学生時代に日本に留学してきてそのまま日本のラグビーで育ってきた選手なんだそうです。
以前このblogで言及したように、日本人の「グローバル化」はなぜか外向きにしか向かわないのです。例えば「おもてなし」とか言ってる人は日本を訪問してくる外国人に対してホメてもらう事には意識が高いのに、日本の「内側」にいる外国人が日本で快適に暮らせるように支援したり、普通に友達として仲良く付き合ったりすることに対してはほとんど関心が無いように見えます。
だから、色々な葛藤や苦労があった末に日本代表としてプレーしている外国人に対しても残念ながらやっぱり日本人は冷たいですよね。ラグビーに関しては僕は完全に素人ですが、もし仮に代表チームが日本人だけで構成されていたとしたら、日本代表のあそこまでの快進撃は無かっただろうと思います。本当に「おもてなし」するべきなのはまず彼ら「日本のために尽力してくれる外国人」だと僕は思いますし、五郎丸が言いたかったこともたぶんそういう事なんじゃないかと思います。
例えば他のスポーツだと、ラモスのように帰化しないと代表になれないとか、プロ野球やJリーグや相撲のように外国人枠に制約があったりと、外国人選手に関するルールの背景にある理念は「内と外」を区別した上での線引きを設けることのように見えるのですが。
ラグビーというスポーツは競技そのものの理念からして国籍や人種に対してこだわらないので、「外国籍のまま日本の代表としてプレーする」ということが許容されています。「内と外」を線引きするのではなく、「(違うところはあるかもしれないけど)どう混ざって共存していくか」を志向している点ではラグビーの制度こそ「グローバル」時代に沿っているように僕には思えます。
最後に、元ラグビー日本代表の平尾剛氏は本稿と同様のテーマについて論考した末にこのように結んでいます:
「日本人とは?」「国民国家とは?」「スポーツとは?」、これらの問いかけに面と向かって取り組まない限り、この問題の答えは見えてこないだろう。これを踏まえた上での僕の考えは、日本代表に外国籍の選手がいても何も気にしないし、そんなことよりもオフロードパスがどんどんつながる創造的で愉快なラグビーをするチームが見たいということだ。
2015年9月23日水曜日
一番平和だった80年代と異次元の世界の戦いに巻き込まれる漫画・アニメ
シルバーウィークも今日で終わりです。日本でサラリーマンをやってると、長期休暇はGWと夏休みとお正月くらいなので、中途半端な時期に中途半端に5連休もあると何していいのかよくわからないうちに過ぎてしまいました。とりあえず明日から会社に行くのが最高に面倒です(しかも2日行ったらまた土日だし)。祝日がやたら多い(中途半端な連休が多い)という日本の制度よりは、欧州みたいに夏休みだけは好きなときに長く取る方がいいなと未だに思ってしまいます。
さて。最近色々忙しくて本を読んだりこのblogを更新したりするような「こころのゆとり」がなかなか持てないのですが、久々の連休とあって数冊の本を読みました。この中には人生で影響を受けた人のトップ10に間違いなく入る菊地成孔の時事ネタ嫌いという本も含まれています。特に90年代後半から00年代前半(自分が大学生~会社員初期)の頃は彼は僕のアイドルでした。その後は一時期に比べたらやや熱は冷めたものの、久しぶりに読んでみたらやっぱり彼の文章は肌に合うというか、自分にとって血のようなものなんだなと改めて認識しました。
そんな菊地氏の本を読んでいて「一番平和だった80年代」という記述を見た瞬間に、氏の本の内容とはカスりもしない「異次元の世界の戦いに巻き込まれる漫画・アニメ」の話をシルバーウィーク中にこのblogに書く決心をしました。この話は長らくぼんやりとした構想だけはあったのになかなか書くところまで至っていなかった話の一つなのですね。
というわけで本題に入りますが。自分がリアルタイムで見ていた範囲だけでも「NG騎士ラムネ&40」、「魔神英雄伝ワタル」、「天空戦記シュラト」…と、このプロットを採用した漫画やアニメは佃煮にして売れるくらい大量に反復生産されています。ちゃんと見たことないですが、今でもこのプロットは漫画やアニメの王道の一つのようです。
ではこのプロットの起源はどこにあるのか?と思って探してみたところ、どうやらウイングマンと聖戦士ダンバインが元祖で、ともに83年初頭のほぼ同時期に連載/放映が始まっています。
アニメ・漫画だけに限らず、あらゆる芸術作品は不可避的にその時代の世相と切っても切れない関係にありますが、戦いをモチーフとする作品は特にあからさまにその傾向が強いのではないでしょうか。ハリウッド映画だって冷戦時代はソ連をはじめとする共産圏の国を悪役としたアメリカのプロパガンダみたいな作品ばかり作ってたわけですが、冷戦がひと段落した途端に「宇宙人が攻めてくる話」が増えたのを今でも覚えています。
日本のアニメも勿論同様に時代/世相と切っても切れない関係があります。「宇宙戦艦ヤマト」('74~)までは日本のアニメは「勧善懲悪」が原則でした。ところがヤマトの登場によって、アニメは初めて勧善懲悪から離れて「敵もそれなりに理由があって戦っている」という設定が導入されました。ちょっと前のasahi.comの連載でも言及されていたように、宇宙戦艦ヤマトという作品は敗戦国日本の怨念やルサンチマンが込められた作品なんだと思います。そして、この第二次世界大戦の怨念はその後のガンダム('79~)にまで引き継がれてやっとこさ昇華/供養されました。ついでに言うと、こうやって地ならしが終わった跡地に第二次大戦の影を一切引きずらない純粋なエンターテイメントとして最初に建てられたのがマクロス('82)なんじゃないかと思います。
やや脱線しましたが、こういう歴史的経緯を踏まえた上で「『異次元の世界の戦いに巻き込まれる』という漫画・アニメのプロットが83年くらいに登場した」ということを考えてみると、
・ヤマトやガンダムを経て第二次世界大戦の総括と超克がやっと一区切りついたところに
・冷戦終結の兆しが見え始めた
という時代の世相を反映しているのではないかと思うのです。つまり、戦前の日本と自分がつながっている感覚が希薄になり、冷戦は終結ムードとなってきたことによって、戦争に自分が巻き込まれるようなことが日本人にとってリアリティをもって受け入れられなくなったのでしょう。だからこそ「普通の現代人が異次元のファンタジー世界へわざわざ召還されて、そこでの戦いに巻き込まれる」というプロットがこの時期に発明される必要があったのではないでしょうか?
「エンターテイメントとして提供されている"戦い"をリアルな自分事としては引き受けないで消費する」という態度でコンテンツ(漫画・アニメ・ゲーム等)と接するのが当たり前になったのはちょうどこのウイングマンやダンバインの頃くらいからなんだろうと思います。
今となっては「そんなの当たり前じゃん。何をブリっ子してんだよ?」と思うかもしれませんが、それ以前の時代(ヤマトやガンダムくらい)までは「見てる側がそれなりに自分事として作品に移入する」ことが求められていて、その空気というのはその当時に幼稚園児か小学生くらいだった僕でもなんとなく感じていました。
ご存知の通り、その後はファミコンという強烈すぎるツールが登場し、さらにビックリマンやSDガンダムなどの登場によって、「戦い」のバーチャル化は徹底的に推し進められました。最近の「艦これ」なんて、バーチャル化が進んだ挙句に旧日本軍の戦艦さえも美少女キャラに昇華させてしまったように見えます。
こういう話をしているとすぐに安保法案に賛成する人達(彼らは自衛隊員の置かれている立場を自分事として考えられない)の話につなげたくなってしまうのですが。今日のところはこの辺でやめておきます。渋々ながら明日から会社もありますし。
さて。最近色々忙しくて本を読んだりこのblogを更新したりするような「こころのゆとり」がなかなか持てないのですが、久々の連休とあって数冊の本を読みました。この中には人生で影響を受けた人のトップ10に間違いなく入る菊地成孔の時事ネタ嫌いという本も含まれています。特に90年代後半から00年代前半(自分が大学生~会社員初期)の頃は彼は僕のアイドルでした。その後は一時期に比べたらやや熱は冷めたものの、久しぶりに読んでみたらやっぱり彼の文章は肌に合うというか、自分にとって血のようなものなんだなと改めて認識しました。
そんな菊地氏の本を読んでいて「一番平和だった80年代」という記述を見た瞬間に、氏の本の内容とはカスりもしない「異次元の世界の戦いに巻き込まれる漫画・アニメ」の話をシルバーウィーク中にこのblogに書く決心をしました。この話は長らくぼんやりとした構想だけはあったのになかなか書くところまで至っていなかった話の一つなのですね。
というわけで本題に入りますが。自分がリアルタイムで見ていた範囲だけでも「NG騎士ラムネ&40」、「魔神英雄伝ワタル」、「天空戦記シュラト」…と、このプロットを採用した漫画やアニメは佃煮にして売れるくらい大量に反復生産されています。ちゃんと見たことないですが、今でもこのプロットは漫画やアニメの王道の一つのようです。
ではこのプロットの起源はどこにあるのか?と思って探してみたところ、どうやらウイングマンと聖戦士ダンバインが元祖で、ともに83年初頭のほぼ同時期に連載/放映が始まっています。
アニメ・漫画だけに限らず、あらゆる芸術作品は不可避的にその時代の世相と切っても切れない関係にありますが、戦いをモチーフとする作品は特にあからさまにその傾向が強いのではないでしょうか。ハリウッド映画だって冷戦時代はソ連をはじめとする共産圏の国を悪役としたアメリカのプロパガンダみたいな作品ばかり作ってたわけですが、冷戦がひと段落した途端に「宇宙人が攻めてくる話」が増えたのを今でも覚えています。
日本のアニメも勿論同様に時代/世相と切っても切れない関係があります。「宇宙戦艦ヤマト」('74~)までは日本のアニメは「勧善懲悪」が原則でした。ところがヤマトの登場によって、アニメは初めて勧善懲悪から離れて「敵もそれなりに理由があって戦っている」という設定が導入されました。ちょっと前のasahi.comの連載でも言及されていたように、宇宙戦艦ヤマトという作品は敗戦国日本の怨念やルサンチマンが込められた作品なんだと思います。そして、この第二次世界大戦の怨念はその後のガンダム('79~)にまで引き継がれてやっとこさ昇華/供養されました。ついでに言うと、こうやって地ならしが終わった跡地に第二次大戦の影を一切引きずらない純粋なエンターテイメントとして最初に建てられたのがマクロス('82)なんじゃないかと思います。
やや脱線しましたが、こういう歴史的経緯を踏まえた上で「『異次元の世界の戦いに巻き込まれる』という漫画・アニメのプロットが83年くらいに登場した」ということを考えてみると、
・ヤマトやガンダムを経て第二次世界大戦の総括と超克がやっと一区切りついたところに
・冷戦終結の兆しが見え始めた
という時代の世相を反映しているのではないかと思うのです。つまり、戦前の日本と自分がつながっている感覚が希薄になり、冷戦は終結ムードとなってきたことによって、戦争に自分が巻き込まれるようなことが日本人にとってリアリティをもって受け入れられなくなったのでしょう。だからこそ「普通の現代人が異次元のファンタジー世界へわざわざ召還されて、そこでの戦いに巻き込まれる」というプロットがこの時期に発明される必要があったのではないでしょうか?
「エンターテイメントとして提供されている"戦い"をリアルな自分事としては引き受けないで消費する」という態度でコンテンツ(漫画・アニメ・ゲーム等)と接するのが当たり前になったのはちょうどこのウイングマンやダンバインの頃くらいからなんだろうと思います。
今となっては「そんなの当たり前じゃん。何をブリっ子してんだよ?」と思うかもしれませんが、それ以前の時代(ヤマトやガンダムくらい)までは「見てる側がそれなりに自分事として作品に移入する」ことが求められていて、その空気というのはその当時に幼稚園児か小学生くらいだった僕でもなんとなく感じていました。
ご存知の通り、その後はファミコンという強烈すぎるツールが登場し、さらにビックリマンやSDガンダムなどの登場によって、「戦い」のバーチャル化は徹底的に推し進められました。最近の「艦これ」なんて、バーチャル化が進んだ挙句に旧日本軍の戦艦さえも美少女キャラに昇華させてしまったように見えます。
こういう話をしているとすぐに安保法案に賛成する人達(彼らは自衛隊員の置かれている立場を自分事として考えられない)の話につなげたくなってしまうのですが。今日のところはこの辺でやめておきます。渋々ながら明日から会社もありますし。
2015年8月9日日曜日
ド根性ガエルと寅さんと少年漫画における「父」の存在
昨日から会社員の僕も夏休みになりました。とはいえ、乳幼児のいる我が家ではこれといった特別にどこかに旅行するわけでもないので、とりあえず高校野球を見たりしてぼんやりしてたら一日が終わりました。
そんなこんなで一日過ごして、あることに気がつきました。僕が小学生の頃には当たり前のようにやっていた「夏休みの午前中に3時間くらいまとめて古いアニメの再放送をする枠」がなくなっているのです。
こういう再放送枠が無かったら見る機会が無かったであろうアニメって結構たくさんあると思うのですよ。たとえば海のトリトンとかバビル2世とかサイボーグ009(最初のカラー版)とか、未来少年コナンとかハクション大魔王なんていう作品は子供心に「(絵もなんか古いし)明らかに10年以上前の作品なんだろうな」というのが分かりつつも夏休みのアニメ再放送枠でぼんやり見ていた思い出があります。
本稿で取り上げるド根性ガエルも僕にとってはそういう作品です。あの漫画が放っている高度経
済成長末期の雰囲気(みんな裕福というわけではないけど、食べるのに困るほどの貧乏はいない)
は、バブル期に小学生だった僕から見ると「ふた昔以上前の日本」に見えたのでした。
さて。そんなド根性ガエルなのですが、最近になって「原作の16年後」という設定の実写ドラマがテレビで放映されているのです。まだちゃんとテレビで見たことはないのですが、日テレのサイトで「30歳ニートのひろし(松山ケンイチ)」「バツイチ出戻りの京子ちゃん(前田敦子)」などの設定を見てまず最初に思ったのは「なぜ、誰が、今このタイミングで原作の16年後のド根性ガエルを作ろうと最初に考えたのか?」でした。
ド根性ガエルは70-76年に連載されていた漫画で、上述したように高度経済成長末期の時代の空気を色濃く反映しています。その16年後ってことは遅くとも92年とかになるわけですが。「ニート」という言葉が出てくるところからも分かるように、ドラマの時代設定は原作の16年後からさらに20年以上経った現代なのです。これはなんか無理があるんじゃないか?と誰しもが思うでしょう。
一番ありえる可能性としては、ド根性ガエルをリアルタイムで直撃していた世代が会社で一番権力を持つ50-60代になったので好き放題やってるということなんじゃないかと思ったりします。
改めて申し上げますが、僕は本稿を書いている段階ではこのドラマを一話たりとも見たことがありません。それを前置きした上で本稿の結論から先に申し上げると、「30歳ニートのひろし」等の諸所の設定からして、この実写ドラマは「寅さん」を目指しているんじゃないかと思うのです。
その結論にたどり着く前にどうしても必要なので少しだけ脱線して少年漫画における「父」の役割についての話をします。というのも、ド根性ガエルという漫画は少年漫画にしてはかなり珍しく「母親だけが出てきて父親が全く登場しない漫画」であり、それがアニメの歌詞にもあるような「泣いて、笑って、ケンカして…」の人情味あふれるドタバタコメディーを成立させている重要な要素なのです。
一番分かりやすいところで巨人の星にはじまり、北斗の拳、ろくでなしBLUES、ONE PIECE、ハイスクール奇面組…挙げてたらキリが無いのですが、たいていの少年漫画作品は関わり方(設定だけの存在~巨人の星みたいな親子鷹まで)の差はあれど何かしら父親が登場します。そして、母親はほとんど登場しないか、登場したとしても物語にダイナミズムを生み出すような存在ではありません。
少年漫画における父親の存在は、少年が非常識な戦いに巻き込まれざるを得なくなる動機であったり、時には少年に試練を与えて鍛える存在であったりします。また、ギャグ漫画に常識的な母親を登場させても特に面白くならないのでギャグ漫画は父子家庭設定で「ちょっとヘンテコな父親」が出てくるパターンが多いです。結果として、少年漫画雑誌というのはことごとく「母親不在で、父親ばかり出てくる」作品が多くなってしまうのだと思います。フロイド風に言うと「父の超克」、ラカン風に言うと「父なる者によって世界に秩序が与えられている」なんて言えるんじゃないかと思います。
脱線ついでに言うと、「父なる者」さえ登場しない少年漫画もいくつかは存在するのですが、例えばアストロ球団、あしたのジョー、風魔の小次郎、男塾、男坂、デビルマン、特攻の拓…と、このように父親が不在の少年漫画はあまりに荒唐無稽だったりどこか破滅的だったりします。
だいぶ脱線しましたが、「寅さんとド根性ガエル」の話に戻ります。
「寅さん」には寅さんの父親は出てきません。wikipediaによると寅さんと妹のさくらは異母兄弟(寅さんは芸者の子で、さくらは本妻の子)なんだそうです。そのせいか寅さんと父親は折り合いが悪くて、寅さんはある日家を飛び出してフーテンとなった…という設定が裏書されているそうです。
ともあれ、寅さんの世界では「とらや」の面々が全体として寅さんに対して「母親」として機能していて、この「母なる庇護者に守られた世界」は「人情物語」の舞台として機能します。なぜって、母親はとにかく子供に対する要求水準が低くて、極論すれば「生きてさえくれればいい」と思ってるので、いつまで経ってもうだつの上がらないフーテンが巻き起こす騒動を暖かく見守ることができるからです。
これは例によって内田先生の受け売りになりますが、少年漫画の下りで言及したように父親というのは子供を鍛えて相対的強者に育てようとするのに対して、母親というのは他人との優劣には関心がなくて、「弱者でも平凡でもいいから生き延びてくれること」だけを願っているんだそうです。だから、「父なる者の競争社会」から落ちこぼれたフーテンやニートを暖かく受容できるのは「母なる庇護者に守られた世界」になるわけです。
以上まとめますと。「母なる庇護者に守られた世界」という観点ではド根性ガエルと寅さんは繋がっているように見えます。時代背景などを無視してまでド根性ガエルの後日譚を作ろうと思った人が見せたかったのは母に見守られた世界で繰り広げられる寅さんのような人情劇のようなものだったんじゃないでしょうか?
というわけで、勝手な想像ばっかりでも失礼なので一回くらいはドラマ見てみますね。。
そんなこんなで一日過ごして、あることに気がつきました。僕が小学生の頃には当たり前のようにやっていた「夏休みの午前中に3時間くらいまとめて古いアニメの再放送をする枠」がなくなっているのです。
こういう再放送枠が無かったら見る機会が無かったであろうアニメって結構たくさんあると思うのですよ。たとえば海のトリトンとかバビル2世とかサイボーグ009(最初のカラー版)とか、未来少年コナンとかハクション大魔王なんていう作品は子供心に「(絵もなんか古いし)明らかに10年以上前の作品なんだろうな」というのが分かりつつも夏休みのアニメ再放送枠でぼんやり見ていた思い出があります。
本稿で取り上げるド根性ガエルも僕にとってはそういう作品です。あの漫画が放っている高度経
済成長末期の雰囲気(みんな裕福というわけではないけど、食べるのに困るほどの貧乏はいない)
は、バブル期に小学生だった僕から見ると「ふた昔以上前の日本」に見えたのでした。
さて。そんなド根性ガエルなのですが、最近になって「原作の16年後」という設定の実写ドラマがテレビで放映されているのです。まだちゃんとテレビで見たことはないのですが、日テレのサイトで「30歳ニートのひろし(松山ケンイチ)」「バツイチ出戻りの京子ちゃん(前田敦子)」などの設定を見てまず最初に思ったのは「なぜ、誰が、今このタイミングで原作の16年後のド根性ガエルを作ろうと最初に考えたのか?」でした。
ド根性ガエルは70-76年に連載されていた漫画で、上述したように高度経済成長末期の時代の空気を色濃く反映しています。その16年後ってことは遅くとも92年とかになるわけですが。「ニート」という言葉が出てくるところからも分かるように、ドラマの時代設定は原作の16年後からさらに20年以上経った現代なのです。これはなんか無理があるんじゃないか?と誰しもが思うでしょう。
一番ありえる可能性としては、ド根性ガエルをリアルタイムで直撃していた世代が会社で一番権力を持つ50-60代になったので好き放題やってるということなんじゃないかと思ったりします。
改めて申し上げますが、僕は本稿を書いている段階ではこのドラマを一話たりとも見たことがありません。それを前置きした上で本稿の結論から先に申し上げると、「30歳ニートのひろし」等の諸所の設定からして、この実写ドラマは「寅さん」を目指しているんじゃないかと思うのです。
その結論にたどり着く前にどうしても必要なので少しだけ脱線して少年漫画における「父」の役割についての話をします。というのも、ド根性ガエルという漫画は少年漫画にしてはかなり珍しく「母親だけが出てきて父親が全く登場しない漫画」であり、それがアニメの歌詞にもあるような「泣いて、笑って、ケンカして…」の人情味あふれるドタバタコメディーを成立させている重要な要素なのです。
一番分かりやすいところで巨人の星にはじまり、北斗の拳、ろくでなしBLUES、ONE PIECE、ハイスクール奇面組…挙げてたらキリが無いのですが、たいていの少年漫画作品は関わり方(設定だけの存在~巨人の星みたいな親子鷹まで)の差はあれど何かしら父親が登場します。そして、母親はほとんど登場しないか、登場したとしても物語にダイナミズムを生み出すような存在ではありません。
少年漫画における父親の存在は、少年が非常識な戦いに巻き込まれざるを得なくなる動機であったり、時には少年に試練を与えて鍛える存在であったりします。また、ギャグ漫画に常識的な母親を登場させても特に面白くならないのでギャグ漫画は父子家庭設定で「ちょっとヘンテコな父親」が出てくるパターンが多いです。結果として、少年漫画雑誌というのはことごとく「母親不在で、父親ばかり出てくる」作品が多くなってしまうのだと思います。フロイド風に言うと「父の超克」、ラカン風に言うと「父なる者によって世界に秩序が与えられている」なんて言えるんじゃないかと思います。
脱線ついでに言うと、「父なる者」さえ登場しない少年漫画もいくつかは存在するのですが、例えばアストロ球団、あしたのジョー、風魔の小次郎、男塾、男坂、デビルマン、特攻の拓…と、このように父親が不在の少年漫画はあまりに荒唐無稽だったりどこか破滅的だったりします。
だいぶ脱線しましたが、「寅さんとド根性ガエル」の話に戻ります。
「寅さん」には寅さんの父親は出てきません。wikipediaによると寅さんと妹のさくらは異母兄弟(寅さんは芸者の子で、さくらは本妻の子)なんだそうです。そのせいか寅さんと父親は折り合いが悪くて、寅さんはある日家を飛び出してフーテンとなった…という設定が裏書されているそうです。
ともあれ、寅さんの世界では「とらや」の面々が全体として寅さんに対して「母親」として機能していて、この「母なる庇護者に守られた世界」は「人情物語」の舞台として機能します。なぜって、母親はとにかく子供に対する要求水準が低くて、極論すれば「生きてさえくれればいい」と思ってるので、いつまで経ってもうだつの上がらないフーテンが巻き起こす騒動を暖かく見守ることができるからです。
これは例によって内田先生の受け売りになりますが、少年漫画の下りで言及したように父親というのは子供を鍛えて相対的強者に育てようとするのに対して、母親というのは他人との優劣には関心がなくて、「弱者でも平凡でもいいから生き延びてくれること」だけを願っているんだそうです。だから、「父なる者の競争社会」から落ちこぼれたフーテンやニートを暖かく受容できるのは「母なる庇護者に守られた世界」になるわけです。
以上まとめますと。「母なる庇護者に守られた世界」という観点ではド根性ガエルと寅さんは繋がっているように見えます。時代背景などを無視してまでド根性ガエルの後日譚を作ろうと思った人が見せたかったのは母に見守られた世界で繰り広げられる寅さんのような人情劇のようなものだったんじゃないでしょうか?
というわけで、勝手な想像ばっかりでも失礼なので一回くらいはドラマ見てみますね。。
2015年7月25日土曜日
夏の高校野球は太平洋戦争の戦没者を慰霊するために奉納される能である
更新を2ヶ月もサボってたら、すっかり夏になってしまいました。いや、書こうと思うネタはいくつかあって実際に何個かは書き始めたのですよ。でも、途中で収拾がつかなくなって止まってしまったのです。で、そうこうしている間に2ヶ月も経ってしまったので、とりあえず以前から暖めていた「夏の高校野球は戦没者を供養するための能である」という話をまず書いてみようと思います。
7月の終盤ともなると、夏の甲子園の出場校がちらほら決まり始めました。毎年のことながら真夏に汗だくになりながら妙に笑顔を絶やさない高校球児を見てると「この暑い中にご苦労様です」と頭が下がる思いになります。そして、毎年のように必ず「高校生の健康に配慮して延長戦の時間をもっと制限するべきだ」とか「そもそもあんな真夏にやる必要があるのか?」といった議論が起こります。確かにごもっともです。春の選抜くらいの気候ならまだしも、一年中で一番つらい時期にわざわざ毎日のように試合をしなくてもいいんじゃないかなと僕だって思っちゃいます。
「夏休みでもないと遠い甲子園で毎日野球するのは無理」とか「お盆の時期なら親御さんも応援に来やすい」とか色々理由はあるんでしょうが。そういう現実的な制約条件とは全く別に「高校野球は太平洋戦争の戦没者を慰霊するために奉納される能」であり、お盆と終戦記念日をまたぐように日程が組まれていることにはそれなりの必然性があるのではないか?というのが本稿の趣旨です。
そもそも夏の甲子園というのは優勝する1校以外は最終的には敗者になるようにできています。つまり、普通に考えたら最後は負けるのです。ところが甲子園に出てくる高校球児達は徹底的に「負け方」というのを教育されていないように見えるのです。
甲子園に出るくらいの強豪校ともなると普段から「負け慣れていない」上に、指導者もたぶん「最後の瞬間まであきらめるな」とかいつも指導してるんじゃないかと思います。だけど「最後の瞬間まで諦めずに頑張った後」のことは誰も教育してないんじゃないでしょうか。だから高校野球は「試合終了の最後の瞬間まで全力で頑張る→試合終了と同時に泣き崩れる→泣きながら土を持って帰る」という光景を毎年のように再生産しています。
彼らの姿は70年前に終戦の玉音放送に泣き崩れるモンペ姿の日本人と重なります。高校球児達と同様に、「負け方」や「負ける可能性」について考えることそのものが当時の日本では徹底的に忌避されていました。そして、太平洋戦争当時の旧日本軍の兵士は「負ける可能性」を一切考慮しない無謀な計画の下に海外に送り込まれ、そのうちの60%の兵士は戦病死(直接戦闘ではなく病死や餓死によって従軍中に亡くなる)だったそうです。
例によって内田樹先生の話ですが、内田先生によると「強さ」というのは「連戦連勝する能力」のことではなく、「負けしろ」の大きさによって計量されるべきなんだそうです。こういう観点で見ると戦時中の日本軍の「連戦連勝して現地で次々と都合よく物資を調達できること」という牧歌的な前提の上に立案された計画には負けしろなんて一つも無かったわけです。そして、実際に負けしろの大きかったアメリカ相手に最終的にはボロ負けしました。これが太平洋戦争です。
今年も甲子園に負けしろを持たない高校生が集まります。彼らが負けて泣き崩れている様は、負けしろを全く持たなかった旧日本軍の兵士を慰霊/呪鎮するために上演される「能」として機能しているのではないでしょうか。そう考えると終戦記念日とお盆の時期をまたぐように夏の甲子園の日程が組まれていることにはそれなりの意味があるように思えるのです。
終戦記念日の正午には甲子園にサイレンが鳴り響き、しばらくの間試合を中断して黙祷が捧げられます。なぜ高校野球の試合を中断してまでサイレンを鳴らして黙祷するのか?と昔は思いましたが、高校野球と旧日本軍の戦没者は「負けしろ」の無さで繋がっていたのです。
7月の終盤ともなると、夏の甲子園の出場校がちらほら決まり始めました。毎年のことながら真夏に汗だくになりながら妙に笑顔を絶やさない高校球児を見てると「この暑い中にご苦労様です」と頭が下がる思いになります。そして、毎年のように必ず「高校生の健康に配慮して延長戦の時間をもっと制限するべきだ」とか「そもそもあんな真夏にやる必要があるのか?」といった議論が起こります。確かにごもっともです。春の選抜くらいの気候ならまだしも、一年中で一番つらい時期にわざわざ毎日のように試合をしなくてもいいんじゃないかなと僕だって思っちゃいます。
「夏休みでもないと遠い甲子園で毎日野球するのは無理」とか「お盆の時期なら親御さんも応援に来やすい」とか色々理由はあるんでしょうが。そういう現実的な制約条件とは全く別に「高校野球は太平洋戦争の戦没者を慰霊するために奉納される能」であり、お盆と終戦記念日をまたぐように日程が組まれていることにはそれなりの必然性があるのではないか?というのが本稿の趣旨です。
そもそも夏の甲子園というのは優勝する1校以外は最終的には敗者になるようにできています。つまり、普通に考えたら最後は負けるのです。ところが甲子園に出てくる高校球児達は徹底的に「負け方」というのを教育されていないように見えるのです。
甲子園に出るくらいの強豪校ともなると普段から「負け慣れていない」上に、指導者もたぶん「最後の瞬間まであきらめるな」とかいつも指導してるんじゃないかと思います。だけど「最後の瞬間まで諦めずに頑張った後」のことは誰も教育してないんじゃないでしょうか。だから高校野球は「試合終了の最後の瞬間まで全力で頑張る→試合終了と同時に泣き崩れる→泣きながら土を持って帰る」という光景を毎年のように再生産しています。
彼らの姿は70年前に終戦の玉音放送に泣き崩れるモンペ姿の日本人と重なります。高校球児達と同様に、「負け方」や「負ける可能性」について考えることそのものが当時の日本では徹底的に忌避されていました。そして、太平洋戦争当時の旧日本軍の兵士は「負ける可能性」を一切考慮しない無謀な計画の下に海外に送り込まれ、そのうちの60%の兵士は戦病死(直接戦闘ではなく病死や餓死によって従軍中に亡くなる)だったそうです。
例によって内田樹先生の話ですが、内田先生によると「強さ」というのは「連戦連勝する能力」のことではなく、「負けしろ」の大きさによって計量されるべきなんだそうです。こういう観点で見ると戦時中の日本軍の「連戦連勝して現地で次々と都合よく物資を調達できること」という牧歌的な前提の上に立案された計画には負けしろなんて一つも無かったわけです。そして、実際に負けしろの大きかったアメリカ相手に最終的にはボロ負けしました。これが太平洋戦争です。
今年も甲子園に負けしろを持たない高校生が集まります。彼らが負けて泣き崩れている様は、負けしろを全く持たなかった旧日本軍の兵士を慰霊/呪鎮するために上演される「能」として機能しているのではないでしょうか。そう考えると終戦記念日とお盆の時期をまたぐように夏の甲子園の日程が組まれていることにはそれなりの意味があるように思えるのです。
終戦記念日の正午には甲子園にサイレンが鳴り響き、しばらくの間試合を中断して黙祷が捧げられます。なぜ高校野球の試合を中断してまでサイレンを鳴らして黙祷するのか?と昔は思いましたが、高校野球と旧日本軍の戦没者は「負けしろ」の無さで繋がっていたのです。
2015年5月24日日曜日
90年代の70年代ブームと成熟できなかったおじさん達
いまから約20ほど前、90年代の中盤から後半に” 70年代ブーム”というのがありました。この70年代ブームがある日突然やってきたのことは今でも鮮烈に覚えてます。例えば、ファンだという人に一人も会った事が無いMi-Ke(70年代風音楽のアイドルグループ)がやたらテレビの歌番組に出て来たり、裾の広いズボン(パンタロン) なんかがこの時期に流行ったり、 ドパドパうるさいだけの貧相なアメリカンバイクのアイコラみたい なのが流行ったりしたのです。僕は80年代のズボンの裾がきゅっと締まっている文化を幼児期に 刷り込まれて育ったので、 あの70年代ブームというやつが生理的に受け付けなかったのです。たぶん、世の中と自分の感覚がズレていると初めて感じた時だったんだと思います。
さておき。今思えば90年代に70年代ブームを作っていたのは今の僕と同い 年くらいの30-40代のおじさんだったのでしょう。で、 20年たった今、 その彼らは60歳前後の社長や部長や首相といったポジションに 立っていて、20年越しにサラリーマンとなった僕は彼らと再び対峙しているように思えるのです。
彼らの表面的な特徴として、とにかく「 おじさんとして成熟する機会を逸したまま、 いつまでも気だけは若作りである」というのがあります。 だってほら、70年代文化を10代の頃に刷り込まれて育ち、 80年代にはバブルを謳歌し、 90年代には70年代ブームを作り、その後の世代に向かって「 俺はLed Zeppelinは中学生の頃に現役で聴いてたぜ」 とかイキってられたりしたわけですよ。だから、「 世の中からズレてるおじさん扱いされる」 という局面を一切経験せずに気だけ若いまま60前後になれたんじゃないかなと思います。
このおじさん達を評して内田樹先生は「60年代くらいにユースカルチャーが台頭してきて『 若い事は素晴らしくて価値がある、老人は害悪だ』 という風潮の中で育ち、その後『年を重ねることによる成熟』 という道を放棄した世代」と半ば自戒を込めて言っていました。
森毅先生の名言botに今までスタイルを作ってきて、そのスタイルに合わないものをうまく活かすといのが中年の自立でないといかんわけ、本来は。日本の会社の問題点は、中年の自立がないことよ、中間管理職に。かえっておじいさんの方がそういうことを気にしていたりするのね。経営者あたりが。というのがあったのですが。この発言がいつ頃かは分かりませんが、多分この時の中間管理職が今の60くらいのおじさん達なんじゃないかなと思うのです。
ちなみに。安倍政権を支持している人っていうのにもほとんど会った事がないんですよ。日本人ってそんなに政治の話を人前でしないから会った事があるのに僕が気づいて無いだけなのかもしれませんが。「安倍政権を支持している層」というのはMi-Keのファンと同じように「本当はいないんじゃないか?」と時々思うのです。
さておき。今思えば90年代に70年代ブームを作っていたのは今の僕と同い
彼らの表面的な特徴として、とにかく「
このおじさん達を評して内田樹先生は「60年代くらいにユースカルチャーが台頭してきて『
森毅先生の名言botに今までスタイルを作ってきて、そのスタイルに合わないものをうまく活かすといのが中年の自立でないといかんわけ、本来は。日本の会社の問題点は、中年の自立がないことよ、中間管理職に。かえっておじいさんの方がそういうことを気にしていたりするのね。経営者あたりが。というのがあったのですが。この発言がいつ頃かは分かりませんが、多分この時の中間管理職が今の60くらいのおじさん達なんじゃないかなと思うのです。
ちなみに。安倍政権を支持している人っていうのにもほとんど会った事がないんですよ。日本人ってそんなに政治の話を人前でしないから会った事があるのに僕が気づいて無いだけなのかもしれませんが。「安倍政権を支持している層」というのはMi-Keのファンと同じように「本当はいないんじゃないか?」と時々思うのです。
2015年5月14日木曜日
日本のプロスポーツと外国人
プロ野球が開幕して一ヶ月になりますが、巨人がシーズン開始直後に連れてきたドミニカ人の新外国人がなかなかの問題児なんだそうです。太りすぎだし、打てない、守れない、さらに素行も悪いということで、来日していきなり一軍で試合に出たかと思えば、たった5日で二軍行きになったそうえす。
http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/baseball/397935/
この記事を読んだ限りで一つだけどうかな?と思ったのは、川相ヘッドが背後から「グッド・モーニング!」と声をかけたが、巨漢の“問題児”は、なんと背中を向けたままあいさつを無視。というくだりです。件のドミニカ人はどうか知りませんが、たとえばスペイン人だと必ずクラッチが噛み合った状態で目を合わせて挨拶するのが当たり前なのです。だから、背後から挨拶されるということが起こり得ると本人がそもそも思ってない可能性があるんじゃないかなと思うんです。
さておき、この人自身の資質や態度にも問題があるのは明らかですね。去年相手をしていたインターンの学生がまさにこういうタイプ(周りの空気を一切気にしない、人に迷惑かけてる自覚が無い、異文化に合わせようという気が無い)だったので他人事とは思えない反面、自分が被害を受けない距離にいる限りは「一人くらいこういう奴がいて、たまにすんごい場外ホームランとか打ったりするとプロレス的な面白さがあってプロ野球が面白くなるんじゃないかな?」とか思ったりするのですね(ちなみに去年のインターン生は残念なぐらい仕事ができませんでした)。
さておき、このニュースを見てから日本のプロスポーツに外国人はいつから登場するようになったのか気になってちょっと調べてみました。すると、日本のプロスポーツに外国人が加わるようになった時期は68-69年くらいの時期に集中していることが分かりました。
■プロ野球
戦前のスタルヒンなどの例外を除いて、1970年から外国人助っ人が日本でプレーするようになったようです。1970年は巨人のV9時代最盛期で、圧倒的な強さを誇る巨人とそれ以外の戦力格差の是正という趣旨もおそらくあったんだろうと思われます(巨人はV9終了までは外国人選手を使っていなかったようです)。
■相撲
高見山が幕内デビューしたのが1968年です。
■プロレス
終戦直後からしばらくは、力道山vsシャープ兄弟に代表されるように外国人は欠かせない存在でした。ただしこの時期の外国人レスラーはシャープ兄弟を筆頭にほとんどヒール(悪役)でした。この構図には敗戦国日本のルサンチマンが見て取れるわけですが、そこから逸脱して外国人レスラーがベビーフェイス(善玉)として人気者になったのはデストロイヤー、マスカラス、ファンクス辺りが最初で、やっぱり70年より1,2年くらい前の話です。
ここまでで列挙した外国人はざっくり言うとアメリカ人なんです(マスカラスはメキシコ人ですが、彼もアメリカのプロレス経由で日本に来てたので文脈としてはアメリカ人と言って良いでしょう)。一方で、この70年より数年前というのは全共闘や70年代安保の全盛期です。
自分が生まれる前の時代の話なので半分推測でしかないのですが、それまでの”外”にある絶対的な立場にあった戦勝国=宗主国であるアメリカとの関係がこの頃くらいから変わり始めたんじゃないかなと思います。そして、この頃になって日本人は敗戦国としての反米感情とそれなりに折り合いをつけて外国人(=アメリカ)を自分たちの側に受け入れ始めたんじゃないかなと思います。
http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/baseball/397935/
この記事を読んだ限りで一つだけどうかな?と思ったのは、川相ヘッドが背後から「グッド・モーニング!」と声をかけたが、巨漢の“問題児”は、なんと背中を向けたままあいさつを無視。というくだりです。件のドミニカ人はどうか知りませんが、たとえばスペイン人だと必ずクラッチが噛み合った状態で目を合わせて挨拶するのが当たり前なのです。だから、背後から挨拶されるということが起こり得ると本人がそもそも思ってない可能性があるんじゃないかなと思うんです。
さておき、この人自身の資質や態度にも問題があるのは明らかですね。去年相手をしていたインターンの学生がまさにこういうタイプ(周りの空気を一切気にしない、人に迷惑かけてる自覚が無い、異文化に合わせようという気が無い)だったので他人事とは思えない反面、自分が被害を受けない距離にいる限りは「一人くらいこういう奴がいて、たまにすんごい場外ホームランとか打ったりするとプロレス的な面白さがあってプロ野球が面白くなるんじゃないかな?」とか思ったりするのですね(ちなみに去年のインターン生は残念なぐらい仕事ができませんでした)。
さておき、このニュースを見てから日本のプロスポーツに外国人はいつから登場するようになったのか気になってちょっと調べてみました。すると、日本のプロスポーツに外国人が加わるようになった時期は68-69年くらいの時期に集中していることが分かりました。
■プロ野球
戦前のスタルヒンなどの例外を除いて、1970年から外国人助っ人が日本でプレーするようになったようです。1970年は巨人のV9時代最盛期で、圧倒的な強さを誇る巨人とそれ以外の戦力格差の是正という趣旨もおそらくあったんだろうと思われます(巨人はV9終了までは外国人選手を使っていなかったようです)。
■相撲
高見山が幕内デビューしたのが1968年です。
■プロレス
終戦直後からしばらくは、力道山vsシャープ兄弟に代表されるように外国人は欠かせない存在でした。ただしこの時期の外国人レスラーはシャープ兄弟を筆頭にほとんどヒール(悪役)でした。この構図には敗戦国日本のルサンチマンが見て取れるわけですが、そこから逸脱して外国人レスラーがベビーフェイス(善玉)として人気者になったのはデストロイヤー、マスカラス、ファンクス辺りが最初で、やっぱり70年より1,2年くらい前の話です。
ここまでで列挙した外国人はざっくり言うとアメリカ人なんです(マスカラスはメキシコ人ですが、彼もアメリカのプロレス経由で日本に来てたので文脈としてはアメリカ人と言って良いでしょう)。一方で、この70年より数年前というのは全共闘や70年代安保の全盛期です。
自分が生まれる前の時代の話なので半分推測でしかないのですが、それまでの”外”にある絶対的な立場にあった戦勝国=宗主国であるアメリカとの関係がこの頃くらいから変わり始めたんじゃないかなと思います。そして、この頃になって日本人は敗戦国としての反米感情とそれなりに折り合いをつけて外国人(=アメリカ)を自分たちの側に受け入れ始めたんじゃないかなと思います。
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