2026年8月13日木曜日

天皇に必要なものは血統よりもまず雅量ではないだろうか?

 これを書いているのは2026年のお盆休みです。火事場泥棒的な勢いで皇室典範が改悪されてから一か月近く経ちました。熊本の地震で一時期マスキングされた気配もありましたが、本日秋篠宮殿下からコメントがあったりと、いまだにこの問題は火種がくすぶり続けている状況です。この件についての国民の反応は、今のところは「反対なんだけど、だからといって具体的にアクションも起こさない」という微温的な態度のようです。

しかし、日本人のアイデンティティに関わる「天皇」にこうも簡単に手を出してしまったことは、中長期的に見て高市政権にとってもデメリットの方が大きいのではないかと思います。そもそも、このような高市政権の姿勢に対して、一昔前の右翼であれば「不敬である」と怒ってもおかしくないと思うのですが。そちらの方面の方はこの件についてどう思っているのでしょうかね?もしこの時代に三島由紀夫が生きていたら、自民党本部を襲撃していてもおかしくないだろうと思います。

そして、この問題で特に気になるのが、旧宮家に具体的にどのような人物がいるのか全く分からないということです。残念ながら、 旧宮家と言われても、竹田恒泰や麻生の孫が悪目立ちしているだけで、印象の良い人がいないのです。 竹田恒泰は「血統」だけを拠り所に好き放題言っている自分が許されると思っている節がありますが、「政治に直接コミットしないことによって政治的プレゼンスを維持している」というパラドクスこそが天皇であって、それを実現するには「雅量」というものが必要なのだと思います。

このような「雅量」を子供の頃から国民が見てきて、いわば「天皇という物語」について国民と合意形成ができていることも天皇において重要な資質だと思います。突然誰だかわからない人が宮家から出てきて天皇になったと言われても、なかなか国民が納得して受け入れるのは難しいのではないでしょうか?「雅量」という意味では、 浅田真央や大谷翔平の方が竹田恒泰や麻生の孫よりもはるかに皇族として国民に受け入れられる資質があるように思います。