2026年10月6日火曜日

僕はあと何年、意味不明な英語が書かれたTシャツをみることができるだろう

10月に入りました。最後の花火から一か月以上経過し、 暑かった夏もさすがに陰りを見せ始め、長年苦楽を共にした発泡酒はこの世から姿を消して…という2026年の10月です。発泡酒については、ちょうど僕が大学生になった頃に発泡酒が世に出始めたので、特別な思い入れがあります。初期の発泡酒はかなりマズくて、安いとはいえあまり飲みたいものではなかったのです。当時、ドリカムのファンの友達がドリカムのグッズに応募するためにマズい発泡酒を大量に買いこんで、処分に困った挙句に冷蔵庫一杯に詰まった発泡酒を「ぎゃはは。マズいなー!」と言いながらみんなで飲んだものでした。

あれから30年。あの当時のマズい発泡酒を知っているからこそ、1998年に麒麟淡麗生が出たときには「それなりに飲める発泡酒ができた」と、衝撃を受けました。その後、「麦とホップ」が出たときには、発泡酒もここまでビールに近づいたのかと感動しました。その後も家では基本的に発泡酒だけを飲んでました。大学生になって飲酒に染まり始めるころにちょうど発泡酒が世に出た世代としては、発泡酒は感覚的には「オレ達世代の文化」であり、それがとうとうこの世からなくなってしまうことには惜別の念に堪えません。

発泡酒の話が長くなりましたが、本日のお題はその対極にある「なくなりそうでなくならない物」です。それは、「意味不明な英語が書いてあるTシャツ」です。僕は貧乏性なので、部屋着のTシャツなどは「しまむら」はおろか、もっとランクの低い「衣料品店」で数百円で売ってる物しか買いません。しかし、この「衣料品店」がなかなかの曲者で、そこに並んでいるTシャツの大半は意味の分からない英語が無駄にプリントされているのです。「わざわざこれをプリントするくらいなら無地の方がよくないか?」と思わずにはいられないのです。例えばこんな感じです。このblogも13年くらいやっていますが、写真を張り付けるのは今回が初めてになると思います。


今のご時世、AIに投げればもうちょっとマトモな英語が出てくるのではないかと思います。でも、AIがこれだけ普及した世界でも、相変わらずヘンテコな英語プリントのTシャツは無くならないんですよね。ヘンテコなテイストの物を一貫して作り続けることの方がマトモなものを作るよりもはるかに難易度は高いのに、日本の底辺衣料品店ではいつまでもヘンテコ英語がプリントされた服が当たり前のように売られている…というのは冷静に考えるとなかなかすごいことなのではないかと思います。もしかしたら、このスタイルをポリシーとして貫き続ける人達がいて、その頂点には「ヘンテコな英語のプリントを考えるカリスマ」みたいな人がいるのではないか…?とさえ思ってしまいます。


これを内的自己・外的自己モデルで考えると、外的自己としては「英語=欧米=カッコイイ」と思っている一方で、そのカウンターとしての内的自己はヘンテコな英語のTシャツを作ることで静かに欧米に復讐を遂げている…という風に解釈できるかもしれません。そうだとすれば、内的自己・外的自己の分裂が無くならない限りは、あのヘンテコな英語のTシャツはいつまでもなくならないのかもしれないですね。一方で、英語通用度が年々上がっている上にAIがこれだけ普及した時代に、いつまであのヘンテコな英語のTシャツを日本人は許容できるんだろうか?ということについても考えてしまいます。

本稿のタイトルは、「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」という坂本龍一のフレーズのパロディです。もしも、あと10年後にヘンテコ英語Tシャツが世の中から消えてしまうのだとしたら、この手のシャツを集めてアーカイブすべきではないかという使命感のようなものを少し感じてしまいます。その一方で、みうらじゅん等が「バカ絵馬」と同じようなノリでヘンテコ英語Tシャツのブームを起こすようなことも、確立は低いけどありそうな気はしています。

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