2015年12月20日日曜日

「『やめないままでいる』ことをやめられない人」とリセット願望

12月も半ばになり、本格的に寒くなってまいりました。実は僕は小学校2年生の一年間だけなんですが「冬でも半袖半ズボン」をやってたことがありまして。今思い出してもなんであんなこと頑張ってたのか本当に不思議なんですが、当時のクラスには僕も含めて「冬でも半袖半ズボン」が3人いたのです。お互い口に出しては言わないけど水面下では何かしら意地の張り合いみたいな雰囲気があって、内心途中でやめてしまいたいと思いながらも結局春まで半袖半ズボンで通しました。
ゴン中山48歳で現役復帰というニュースを見て、真っ先にキング・カズのことを思い出して、そして半袖半ズボンのことを思い出しました。たぶん、カズが今まで現役続行していなかったらゴン中山は現役復帰なんて事はしなかったんじゃないかな?と思います。Jリーグが存続する限り50前後までプレーする選手はこの後も出てくるんでしょう。誰が最初に彼のことをキングって呼び始めたのか知りませんが、カズってほんとにJリーグのキングですよね。

他にも、引退って何度も言ったくせに結局復帰する宮崎駿とか、未だに現役続行に意欲を燃やす辰吉丈一郎とか…我々日本人ってつくづくこういう人達が大好きですよね。この対極には中田とか江川とか新庄のように「完全燃焼する前に自ら引き際を決めて引退」した人達がいるのですが、彼らが国民的に愛されているとは言い難いですよね。
小学校2年生の頃の僕と、ゴン中山やカズや辰吉に通じるものがあるとしたら、それは「『やめないままでいる』ことをやめられない」という少し病にも似たものなんじゃないでしょうか。どれも捉えようによっては「継続」として賞賛されることのようなのですが、「継続」という言葉がもたらす前向きさよりはどこかねじれてて何かしら病んでるような気がするのです。

この一方で我々日本人は「リセット」というのも大好きだったりします。これについては内田先生がこれ以上無いくらい的確な文章を残しているのでそのまま貼り付けておきます。
「リセット」の誘惑に日本人は抵抗力がない。
「すべてチャラにして、一からやり直そうよ」と言われると、どんなことでも、思わず「うん」と頷いてしまうのが日本人の骨がらみの癖なのである。
「維新」といわれると思わず武者震いし、「乾坤一擲」とか「大東亜新秩序」とかいうスローガンに動悸が速まり、「一億総懺悔」でも「一億総白痴化」でも「一億総中流」でもとにかく「一億総」がつくとわらわらと走り出し、「構造改革」でも「戦後レジームからの脱却」でも、とにかく「まるごと・一から・刷新」と聴くと一も二もなくきゃあきゃあはしゃぎ出すのが日本人である。
それはそれまでの自分のありようと弊履を捨つるがごとく捨てるのが「自分らしさの探求」であり、「自己実現」への捷径であると私たちが信じているからである。
繰り返し言うが、こんな考え方をするのは世界で日本人だけである。
私はそれを「属邦人性」と呼んでいるのである。
この文章は2007年に書かれたにもかかわらず、その後の未来を的確に予見していると思います。震災以降の日本人は原発事故が遺した途方も無いネガティブインパクトに対してこの「属邦人性」が大爆発してしまい、「全部無かったことにしてリセットしたい」という強烈な願望に駆動されて迷走しているように僕には見えるのです。たとえば、RIZAPなんてまさに「リセット願望」の最たる物で、今までの不摂生を短期間だけ必死で努力するだけですべてチャラにしようとしているわけですよね?

そして、政治の世界でも震災以降はリセット願望の暴走が相変わらず猛威を振るっています。上記の内田先生のテキストでは「一億総」や「戦後レジームからの脱却」など、現在の安倍政権のワーディングが予言されています。そして、「維新」という言葉も上記のテキストには含まれています。ご存知の通り、橋下徹率いる「維新」は既存の何かを敵としてつまみあげては「リセット」を叫びながら攻撃することの自転車操業をここまで繰り返してきました。
自民党はさておき、橋下徹の自転車操業はさすがにいつまでも続かないんじゃないかな?と思っていたら、「沖縄の米兵は風俗を利用してください」発言でボロが出て以降はさすがに下り坂になり、とうとう選挙で負けると、"ぜんぜんそんなつもり無いくせに引退宣言" → "なんかゴタゴタ内輪モメした挙句国政に打って出る" という、誰も予想さえしていなかった大仁田厚(何度も引退→復帰を繰り返したプロレスラー)みたいな手法で政治家としてまた復帰しようとしています。
橋下徹は自分自身ををリセットできたと思ってるのでしょうか?どちらかと言うと僕には「『やめないままでいる』ことをやめられない」人と同じ病の中に飛び込むことによって新たなポピュリズムの道を模索しようとしているように見えます。彼はこれまでひたすら「リセット」を叫ぶことの自転車操業を続けてきたわけですが、「『やめないままでいる』ことをやめられない」という病をも取り込んで「橋下徹2.0」とでも呼ぶべきより厄介な段階に入ったんじゃないでしょうか。

「『やめないままでいる』ことをやめられない」=「限界を超えているのにいつまで耐え続ける」ことと「リセット」の組み合わせは、「あるところまで延々粘ったかと思ったらある日突然極端から極端へと簡単に振れる」という日本人の気質を形作っていると思います。実際に、第二次世界大戦の末期には国家の体裁を維持できる限界を通り越しても日本国民は耐え続け、そして終戦とともにすべてをリセットしました。
この順番だったらまだ理解できるんですが、橋下徹の場合は順番が逆なんですよね。「リセット」の連発が先で、それがこじれた挙句に「『リセットって言いつづけることをやめないままでいる』ことがやめられない」ように見えるのです。別の言い方をすると、「『リセット』って言い続ける自分をいつまでもリセットできない」ということなんですが、なんかもうややこしいのでこの辺りにしておきます。

2015年12月6日日曜日

目に見えない物に対する感性と妖怪

水木しげる先生がお亡くなりになりました。おそらく説明の必要は無いと思いますが、ゲゲゲの鬼太郎や悪魔くんなどの数々の妖怪漫画を生み出した漫画界の巨匠です。水木しげるの訃報に対する日本人のリアクションは、岡本太郎が亡くなった時といかりや長介が亡くなった時の反応を混ぜたような不思議な空気に包まれていました。
水木しげる本人は超マイペースな方だったらしく、その人となりはたとえば岡本太郎みたいに「芸術家らしい風変わりな人」として日本人には受容されていました。一方で彼の一連の妖怪漫画は日本人にとって、「普段から大好きだとは誰も言わないけど、亡くなった途端にその存在の大きさにみんな初めて気付く=暗黙裡になんとなく普遍的に愛されていた」という点では、いかりや長介の存在に非常に近いと思ったのです。

水木しげるの幸せになるための七か条の最後には「目に見えない世界を信じる」とあります。妖怪という「目に見えない物」だけをほぼ一貫して描き続けてきたのは、彼が本気でそれを信じていたからなのでしょう。そんな彼の妖怪漫画がこれだけ日本人に「暗黙裡になんとなく普遍的に愛されていた」のは、「目に見えない物」に対する日本人のアミニズム的感性と妖怪が深く繋がっているからなんだと思います。
以前妖怪ウォッチの話を書いた際に言及しましたが、大人達が「おもてなし」やクールジャパンなど「ガイジン様(お客様)にウケそうな日本の伝統文化だけをつまみあげる」ことに血道を上げている中で、妖怪ウォッチに熱狂する子供達はそれを一足飛び越えて日本人独自の感性へと回帰しているように僕には思えるのです。なぜって、妖怪ウォッチはアンパンマンなどと同様に日本人のアニミズム的な感受性が無いと受容できないので、外国人にはたぶん理解できないからです。

内田先生も孔子の六芸の話の中で、「目に見えないもの」に対する感受性と開放性がなぜ必要なのかを説いています。武道家(合気道)でもある内田先生は「生き延びるための力の涵養」を目的としている武道の立場から、「現代人は現代社会に適応して生活するために見えないシグナルを受信するセンサーの感度を鈍化させている」と警鐘を鳴らしています。あんまり僕がくどくど書いてもしょうがないので上記のサイトから少しだけ引用します。
「六芸」の第一に挙げられているのが「礼」です。これは礼儀やマナーのことではありません。「鬼神に仕える」作法のことです。「この世ならざるもの」をただしく畏れ、ただしく祀(まつ)り、それがもたらす災いから身を守るための実践的な方法です。それをまず身につける。
現代人はもうこうした感覚を失いつつありますが、人類の歴史数万年のうち、「この世ならざるもの」との付き合いが薄れたのはほんのここ百年ほどのことです。それまで「鬼神に仕える」作法は人が生きる上で最優先で身につけるべきものでした。

「目に見えない物」が本当に存在するかしないかを追求するのは野暮というか、あまり生産的ではないと思います。「目に見えない物」はたとえば数学における虚数のように「あると仮定すると物事がうまくいく」という類のものであり、これは先人から受け継いだ人類の智慧だと思います。
何を信じていいのか分からない時代だからこそ内田先生の言うように「目に見えない物」に対する感度を磨く必要があると思います。妖怪ウオッチを見ている子供達は無意識のうちにそういうことに気付き始めているんだと考えれば、日本もまだまだ捨てたものではないとちょっと期待できるんじゃないでしょうか。
しかし、水木しげるの妖怪漫画がなかったらたぶん妖怪ウオッチも存在しなかったと思います。妖怪漫画というジャンルを開拓するとこから始まって、今日に至るまで「目に見えない物」を描き続けてきた巨匠の仕事は、もしかしたら妖怪ウォッチ世代が大人になった頃くらいに今より高く評価されるかもしれません。

2015年11月29日日曜日

市民のいない日本に蝶が舞う

先日、大阪に住んでいる大学時代の同級生と二人で飲む機会がありました。僕は(外国に行ったりで色々人生おかしくなったけど)日本の田舎企業のエンジニア、一方向こうは都会で外資の国内営業(でも英語なんてぜんぜん使わない)と、お互いにカスりもしない世界で暮らしているので、会ってみると普段の生活の中では(話せる相手がいなくて)誰にも話せないようなことまで含めて色々と話しました。こういう同級生の存在がありがたく思えるのは、なんだかんだいって歳をとったなぁと思いました。
その一方で、お互い40手前にもなると日本人どうしで意見の違いを真正面から議論するのがもう難しくなってしまったのも感じました。というのも、件の同級生の口から「SEALDsとかあんなことやってたって世の中は何も変わらないよ。」という一言が出たのです。このときは特に反論せずにそのまま流したのですが。彼の口からその言葉が出た瞬間に「あー、やっぱりそうなんだ。。」と少しうなだれてしまいました。

彼の言ってることはつまり、「自分の意見を持つということにそもそもこだわりが無くて、自分は多数派に同調していたい」と自己申告しているように僕には聞こえました。おそらく日本人の大半はこういう人達で、安倍政権がこれだけ続いているのもそれが理由なんだろうというのはなんとなく分かってはいたのですが。日本人は普段政治の話を人前でしないので、具体的に面と向かってそういう人に触れる機会が今まで全く無かったのです。だから、いざ実際目の前に現れると「あー、やっぱりそうなんだ。。」と少しうなだれてしまったわけです。
多数決による民主主義という制度は不可避的に「負ける人達」を作り出します。つまり、民主主義という制度は「負ける人達」になることを覚悟の上で自分の意見を主張する人達によって担保されているわけです。政治的立場の違いからSEALDsを批判するのはまだ分からんでもないですが、件の同級生も含めてSEALDsを批判する人達はSEALDsが政治的態度を社会に表明していることそのものを批判したがっているのではないでしょうか。

この話を簡単な一言に言い換えると、日本という国には「市民」がいないのです。いないって言ったら言い過ぎかもしれませんが、「市民」という意識が日本人にはそもそも希薄なのではないでしょうか。ここで言う「市民」というのは独立した個人として自分の頭で考えて政治的態度を決める責任を自身に課した人のことです。
とりあえず自分の知る限りの話ですが、欧州では市民としての意識がない人は大人としてみなされない風潮があります。たとえば、職場でお昼ごはん食べてるときのカジュアルな会話でさえ政治の話はごく当たり前のように出てきます。彼らの世界観では「人は意見が違って当たり前」なので意見が合わないことがほとんどですが、だからといってケンカになったりまではしません。そうやって市民が意見の違いをお互いに主張しあいながら社会を形成しているというコンセンサスがあるので、どこかしら意見の違いを楽しんでいるかのような雰囲気さえ感じます。

「負ける人達」を不必要だする社会を突き詰めると、中国のようにずっと一党(共産党)独裁の政体になります。ネトウヨなどの一部の人々は本気で自民党独裁の政治体制を願っているんでしょうが、日本人の大半は「多数派に同調していたい」のであって、「ずっと同じ政体が続いて欲しい」と思ってるわけではないんだろうと思います。
つまり日本では「『多数派に同調していたい人』が多数派である」のです。だからこの国では、2009年の民主党への政権交代の時のように突然雪崩を打ったように多数派の支持が逆転することがあります。カオス理論で言うところのバタフライ効果のように、蝶の小さな羽ばたき一つが大きな気象変化を起こすようなことがこの国の政治ではしばしば現実に起きてしまうわけです。
ある日突然に極端から極端に振れてしまうというのはあんまりよろしくない気がする反面、まだ振れ幅があるうちは民主主義というシステムがまがりなりにも機能しているとは言えるだろうと思います。これが機能しなくなると戦前の日本のように最後は壊滅的な結果をもたらすというのは歴史が教えているとおりです。

将来選択可能なオプションを残すためにも、いろんな蝶が必要だと僕は思いますよ。

2015年11月1日日曜日

ラグビーに学ぶ日本の国際化

10月中に一回くらいは何か書こうと思っていたのに、気がついたら10月が終わってしまいました。。毎度のことながら書こうと思うネタはいくつか思いつくのですが、大半は何かを批判したり文句言ってたかったりするような内容なので、こういう何かしらネガティブな要素を含む話を文章に書いてみるにはそれなりの勢いというかエネルギーというのが必要でして…ええつまり、ちょっと最近歳をとった自覚がでてきました。前向きな言い方をすると、「大人になった」って言うのかもしれませんね。
さておき、そんなわけで比較的明るい話題としてラグビー日本代表の話をしてみたいと思います。て言っても、気がついたらあの試合(優勝候補の南アフリカに対して歴史的勝利)からもう1ヶ月以上経っているのですね。。もう説明不要だと思いますがこの快挙によってラグビー日本代表、特にあのカンチョーみたいなキャッチーなポーズによって五郎丸という選手にスポットライトが当たりました。
あれだけ持ち上げられながらも、五郎丸という選手には浮ついたところが一つも見当たらないんです。彼のたたずまいはスポーツ選手というよりは武道家みたいに見えます。「紳士のスポーツ」であるラグビーという競技の性格と、どこかしら武道的精神と切っても切れない関係にある日本のアマチュアスポーツの風土が生み出した最高傑作なんじゃないかとさえ思います。

そんなこんなで五郎丸ばかりにスポットライトが当たりすぎのラグビーですが。そこに対して彼はこのようなコメントをしています。ラグビーが注目されてる今だからこそ日本代表にいる外国人選手にもスポットを。彼らは母国の代表より日本を選び日本のために戦っている最高の仲間だ。国籍は違うが日本を背負っている。これがラグビーだ。
もし仮にラグビーの日本代表チームが日本人だけで構成されていたとしても、たぶん五郎丸にスポットライトが当たっていただろうと思います。でも、彼にだけスポットライトが当たってる暗黙の理由の一つに「日本代表に外国人が多すぎる」というのもあるんだろうとは思います。なんとなくそれが分かっているからこそ五郎丸はこのようなコメントをしたのではないでしょうか。
代表選手31人に対して10人が外国人という日本代表のメンバー構成の背景についてはいくらでもネットで探せば出てきますが、つまるところラグビーは伝統的に「所属協会主義」という制度になっていて、外国人でも3年以上当該国に居住していれば代表としてプレーできるルールなんだそうです。

つまり、ラグビーという競技は人種や国籍、出自を問わず、居住している国の選手としてプレーすることが許容されているわけです。その昔、ラモス瑠偉はラグビーの日本代表に外国人が多すぎることに対して「日本代表になるなら自分のように帰化すべき」と言ったそうですが。ラグビーというスポーツに限って言うとこれは的を射た批判とは言えないのでしょうね。
かといって、一回どこかの国で代表になってしまったら、その後で他の国の代表になることはできないルールなんだそうです。だから、日本代表でプレーしている外国人は祖国の代表と日本代表のどちらかを選ぶかという葛藤の末に日本代表を選んでくれたわけです。そして、もっと遡ると、彼らの大半は(おそらく祖国での競争からはじき出された末に)学生時代に日本に留学してきてそのまま日本のラグビーで育ってきた選手なんだそうです。
以前このblogで言及したように、日本人の「グローバル化」はなぜか外向きにしか向かわないのです。例えば「おもてなし」とか言ってる人は日本を訪問してくる外国人に対してホメてもらう事には意識が高いのに、日本の「内側」にいる外国人が日本で快適に暮らせるように支援したり、普通に友達として仲良く付き合ったりすることに対してはほとんど関心が無いように見えます。
だから、色々な葛藤や苦労があった末に日本代表としてプレーしている外国人に対しても残念ながらやっぱり日本人は冷たいですよね。ラグビーに関しては僕は完全に素人ですが、もし仮に代表チームが日本人だけで構成されていたとしたら、日本代表のあそこまでの快進撃は無かっただろうと思います。本当に「おもてなし」するべきなのはまず彼ら「日本のために尽力してくれる外国人」だと僕は思いますし、五郎丸が言いたかったこともたぶんそういう事なんじゃないかと思います。

例えば他のスポーツだと、ラモスのように帰化しないと代表になれないとか、プロ野球やJリーグや相撲のように外国人枠に制約があったりと、外国人選手に関するルールの背景にある理念は「内と外」を区別した上での線引きを設けることのように見えるのですが。
ラグビーというスポーツは競技そのものの理念からして国籍や人種に対してこだわらないので、「外国籍のまま日本の代表としてプレーする」ということが許容されています。「内と外」を線引きするのではなく、「(違うところはあるかもしれないけど)どう混ざって共存していくか」を志向している点ではラグビーの制度こそ「グローバル」時代に沿っているように僕には思えます。

最後に、元ラグビー日本代表の平尾剛氏は本稿と同様のテーマについて論考した末にこのように結んでいます:
「日本人とは?」「国民国家とは?」「スポーツとは?」、これらの問いかけに面と向かって取り組まない限り、この問題の答えは見えてこないだろう。これを踏まえた上での僕の考えは、日本代表に外国籍の選手がいても何も気にしないし、そんなことよりもオフロードパスがどんどんつながる創造的で愉快なラグビーをするチームが見たいということだ。

2015年9月23日水曜日

一番平和だった80年代と異次元の世界の戦いに巻き込まれる漫画・アニメ

シルバーウィークも今日で終わりです。日本でサラリーマンをやってると、長期休暇はGWと夏休みとお正月くらいなので、中途半端な時期に中途半端に5連休もあると何していいのかよくわからないうちに過ぎてしまいました。とりあえず明日から会社に行くのが最高に面倒です(しかも2日行ったらまた土日だし)。祝日がやたら多い(中途半端な連休が多い)という日本の制度よりは、欧州みたいに夏休みだけは好きなときに長く取る方がいいなと未だに思ってしまいます。
さて。最近色々忙しくて本を読んだりこのblogを更新したりするような「こころのゆとり」がなかなか持てないのですが、久々の連休とあって数冊の本を読みました。この中には人生で影響を受けた人のトップ10に間違いなく入る菊地成孔の時事ネタ嫌いという本も含まれています。特に90年代後半から00年代前半(自分が大学生~会社員初期)の頃は彼は僕のアイドルでした。その後は一時期に比べたらやや熱は冷めたものの、久しぶりに読んでみたらやっぱり彼の文章は肌に合うというか、自分にとって血のようなものなんだなと改めて認識しました。

そんな菊地氏の本を読んでいて「一番平和だった80年代」という記述を見た瞬間に、氏の本の内容とはカスりもしない「異次元の世界の戦いに巻き込まれる漫画・アニメ」の話をシルバーウィーク中にこのblogに書く決心をしました。この話は長らくぼんやりとした構想だけはあったのになかなか書くところまで至っていなかった話の一つなのですね。
というわけで本題に入りますが。自分がリアルタイムで見ていた範囲だけでも「NG騎士ラムネ&40」、「魔神英雄伝ワタル」、「天空戦記シュラト」…と、このプロットを採用した漫画やアニメは佃煮にして売れるくらい大量に反復生産されています。ちゃんと見たことないですが、今でもこのプロットは漫画やアニメの王道の一つのようです。
ではこのプロットの起源はどこにあるのか?と思って探してみたところ、どうやらウイングマンと聖戦士ダンバインが元祖で、ともに83年初頭のほぼ同時期に連載/放映が始まっています。

アニメ・漫画だけに限らず、あらゆる芸術作品は不可避的にその時代の世相と切っても切れない関係にありますが、戦いをモチーフとする作品は特にあからさまにその傾向が強いのではないでしょうか。ハリウッド映画だって冷戦時代はソ連をはじめとする共産圏の国を悪役としたアメリカのプロパガンダみたいな作品ばかり作ってたわけですが、冷戦がひと段落した途端に「宇宙人が攻めてくる話」が増えたのを今でも覚えています。
日本のアニメも勿論同様に時代/世相と切っても切れない関係があります。「宇宙戦艦ヤマト」('74~)までは日本のアニメは「勧善懲悪」が原則でした。ところがヤマトの登場によって、アニメは初めて勧善懲悪から離れて「敵もそれなりに理由があって戦っている」という設定が導入されました。ちょっと前のasahi.comの連載でも言及されていたように、宇宙戦艦ヤマトという作品は敗戦国日本の怨念やルサンチマンが込められた作品なんだと思います。そして、この第二次世界大戦の怨念はその後のガンダム('79~)にまで引き継がれてやっとこさ昇華/供養されました。ついでに言うと、こうやって地ならしが終わった跡地に第二次大戦の影を一切引きずらない純粋なエンターテイメントとして最初に建てられたのがマクロス('82)なんじゃないかと思います。

やや脱線しましたが、こういう歴史的経緯を踏まえた上で「『異次元の世界の戦いに巻き込まれる』という漫画・アニメのプロットが83年くらいに登場した」ということを考えてみると、
・ヤマトやガンダムを経て第二次世界大戦の総括と超克がやっと一区切りついたところに
・冷戦終結の兆しが見え始めた
という時代の世相を反映しているのではないかと思うのです。つまり、戦前の日本と自分がつながっている感覚が希薄になり、冷戦は終結ムードとなってきたことによって、戦争に自分が巻き込まれるようなことが日本人にとってリアリティをもって受け入れられなくなったのでしょう。だからこそ「普通の現代人が異次元のファンタジー世界へわざわざ召還されて、そこでの戦いに巻き込まれる」というプロットがこの時期に発明される必要があったのではないでしょうか?

「エンターテイメントとして提供されている"戦い"をリアルな自分事としては引き受けないで消費する」という態度でコンテンツ(漫画・アニメ・ゲーム等)と接するのが当たり前になったのはちょうどこのウイングマンやダンバインの頃くらいからなんだろうと思います。
今となっては「そんなの当たり前じゃん。何をブリっ子してんだよ?」と思うかもしれませんが、それ以前の時代(ヤマトやガンダムくらい)までは「見てる側がそれなりに自分事として作品に移入する」ことが求められていて、その空気というのはその当時に幼稚園児か小学生くらいだった僕でもなんとなく感じていました。
ご存知の通り、その後はファミコンという強烈すぎるツールが登場し、さらにビックリマンやSDガンダムなどの登場によって、「戦い」のバーチャル化は徹底的に推し進められました。最近の「艦これ」なんて、バーチャル化が進んだ挙句に旧日本軍の戦艦さえも美少女キャラに昇華させてしまったように見えます。

こういう話をしているとすぐに安保法案に賛成する人達(彼らは自衛隊員の置かれている立場を自分事として考えられない)の話につなげたくなってしまうのですが。今日のところはこの辺でやめておきます。渋々ながら明日から会社もありますし。

2015年8月9日日曜日

ド根性ガエルと寅さんと少年漫画における「父」の存在

昨日から会社員の僕も夏休みになりました。とはいえ、乳幼児のいる我が家ではこれといった特別にどこかに旅行するわけでもないので、とりあえず高校野球を見たりしてぼんやりしてたら一日が終わりました。
そんなこんなで一日過ごして、あることに気がつきました。僕が小学生の頃には当たり前のようにやっていた「夏休みの午前中に3時間くらいまとめて古いアニメの再放送をする枠」がなくなっているのです。
こういう再放送枠が無かったら見る機会が無かったであろうアニメって結構たくさんあると思うのですよ。たとえば海のトリトンとかバビル2世とかサイボーグ009(最初のカラー版)とか、未来少年コナンとかハクション大魔王なんていう作品は子供心に「(絵もなんか古いし)明らかに10年以上前の作品なんだろうな」というのが分かりつつも夏休みのアニメ再放送枠でぼんやり見ていた思い出があります。
本稿で取り上げるド根性ガエルも僕にとってはそういう作品です。あの漫画が放っている高度経
済成長末期の雰囲気(みんな裕福というわけではないけど、食べるのに困るほどの貧乏はいない)
は、バブル期に小学生だった僕から見ると「ふた昔以上前の日本」に見えたのでした。

さて。そんなド根性ガエルなのですが、最近になって「原作の16年後」という設定の実写ドラマがテレビで放映されているのです。まだちゃんとテレビで見たことはないのですが、日テレのサイトで「30歳ニートのひろし(松山ケンイチ)」「バツイチ出戻りの京子ちゃん(前田敦子)」などの設定を見てまず最初に思ったのは「なぜ、誰が、今このタイミングで原作の16年後のド根性ガエルを作ろうと最初に考えたのか?」でした。
ド根性ガエルは70-76年に連載されていた漫画で、上述したように高度経済成長末期の時代の空気を色濃く反映しています。その16年後ってことは遅くとも92年とかになるわけですが。「ニート」という言葉が出てくるところからも分かるように、ドラマの時代設定は原作の16年後からさらに20年以上経った現代なのです。これはなんか無理があるんじゃないか?と誰しもが思うでしょう。
一番ありえる可能性としては、ド根性ガエルをリアルタイムで直撃していた世代が会社で一番権力を持つ50-60代になったので好き放題やってるということなんじゃないかと思ったりします。

改めて申し上げますが、僕は本稿を書いている段階ではこのドラマを一話たりとも見たことがありません。それを前置きした上で本稿の結論から先に申し上げると、「30歳ニートのひろし」等の諸所の設定からして、この実写ドラマは「寅さん」を目指しているんじゃないかと思うのです。
その結論にたどり着く前にどうしても必要なので少しだけ脱線して少年漫画における「父」の役割についての話をします。というのも、ド根性ガエルという漫画は少年漫画にしてはかなり珍しく「母親だけが出てきて父親が全く登場しない漫画」であり、それがアニメの歌詞にもあるような「泣いて、笑って、ケンカして…」の人情味あふれるドタバタコメディーを成立させている重要な要素なのです。
一番分かりやすいところで巨人の星にはじまり、北斗の拳、ろくでなしBLUES、ONE PIECE、ハイスクール奇面組…挙げてたらキリが無いのですが、たいていの少年漫画作品は関わり方(設定だけの存在~巨人の星みたいな親子鷹まで)の差はあれど何かしら父親が登場します。そして、母親はほとんど登場しないか、登場したとしても物語にダイナミズムを生み出すような存在ではありません。
少年漫画における父親の存在は、少年が非常識な戦いに巻き込まれざるを得なくなる動機であったり、時には少年に試練を与えて鍛える存在であったりします。また、ギャグ漫画に常識的な母親を登場させても特に面白くならないのでギャグ漫画は父子家庭設定で「ちょっとヘンテコな父親」が出てくるパターンが多いです。結果として、少年漫画雑誌というのはことごとく「母親不在で、父親ばかり出てくる」作品が多くなってしまうのだと思います。フロイド風に言うと「父の超克」、ラカン風に言うと「父なる者によって世界に秩序が与えられている」なんて言えるんじゃないかと思います。
脱線ついでに言うと、「父なる者」さえ登場しない少年漫画もいくつかは存在するのですが、例えばアストロ球団、あしたのジョー、風魔の小次郎、男塾、男坂、デビルマン、特攻の拓…と、このように父親が不在の少年漫画はあまりに荒唐無稽だったりどこか破滅的だったりします。

だいぶ脱線しましたが、「寅さんとド根性ガエル」の話に戻ります。
「寅さん」には寅さんの父親は出てきません。wikipediaによると寅さんと妹のさくらは異母兄弟(寅さんは芸者の子で、さくらは本妻の子)なんだそうです。そのせいか寅さんと父親は折り合いが悪くて、寅さんはある日家を飛び出してフーテンとなった…という設定が裏書されているそうです。
ともあれ、寅さんの世界では「とらや」の面々が全体として寅さんに対して「母親」として機能していて、この「母なる庇護者に守られた世界」は「人情物語」の舞台として機能します。なぜって、母親はとにかく子供に対する要求水準が低くて、極論すれば「生きてさえくれればいい」と思ってるので、いつまで経ってもうだつの上がらないフーテンが巻き起こす騒動を暖かく見守ることができるからです。
これは例によって内田先生の受け売りになりますが、少年漫画の下りで言及したように父親というのは子供を鍛えて相対的強者に育てようとするのに対して、母親というのは他人との優劣には関心がなくて、「弱者でも平凡でもいいから生き延びてくれること」だけを願っているんだそうです。だから、「父なる者の競争社会」から落ちこぼれたフーテンやニートを暖かく受容できるのは「母なる庇護者に守られた世界」になるわけです。
以上まとめますと。「母なる庇護者に守られた世界」という観点ではド根性ガエルと寅さんは繋がっているように見えます。時代背景などを無視してまでド根性ガエルの後日譚を作ろうと思った人が見せたかったのは母に見守られた世界で繰り広げられる寅さんのような人情劇のようなものだったんじゃないでしょうか?

というわけで、勝手な想像ばっかりでも失礼なので一回くらいはドラマ見てみますね。。

2015年7月25日土曜日

夏の高校野球は太平洋戦争の戦没者を慰霊するために奉納される能である

更新を2ヶ月もサボってたら、すっかり夏になってしまいました。いや、書こうと思うネタはいくつかあって実際に何個かは書き始めたのですよ。でも、途中で収拾がつかなくなって止まってしまったのです。で、そうこうしている間に2ヶ月も経ってしまったので、とりあえず以前から暖めていた「夏の高校野球は戦没者を供養するための能である」という話をまず書いてみようと思います。

7月の終盤ともなると、夏の甲子園の出場校がちらほら決まり始めました。毎年のことながら真夏に汗だくになりながら妙に笑顔を絶やさない高校球児を見てると「この暑い中にご苦労様です」と頭が下がる思いになります。そして、毎年のように必ず「高校生の健康に配慮して延長戦の時間をもっと制限するべきだ」とか「そもそもあんな真夏にやる必要があるのか?」といった議論が起こります。確かにごもっともです。春の選抜くらいの気候ならまだしも、一年中で一番つらい時期にわざわざ毎日のように試合をしなくてもいいんじゃないかなと僕だって思っちゃいます。
「夏休みでもないと遠い甲子園で毎日野球するのは無理」とか「お盆の時期なら親御さんも応援に来やすい」とか色々理由はあるんでしょうが。そういう現実的な制約条件とは全く別に「高校野球は太平洋戦争の戦没者を慰霊するために奉納される能」であり、お盆と終戦記念日をまたぐように日程が組まれていることにはそれなりの必然性があるのではないか?というのが本稿の趣旨です。

そもそも夏の甲子園というのは優勝する1校以外は最終的には敗者になるようにできています。つまり、普通に考えたら最後は負けるのです。ところが甲子園に出てくる高校球児達は徹底的に「負け方」というのを教育されていないように見えるのです。
甲子園に出るくらいの強豪校ともなると普段から「負け慣れていない」上に、指導者もたぶん「最後の瞬間まであきらめるな」とかいつも指導してるんじゃないかと思います。だけど「最後の瞬間まで諦めずに頑張った後」のことは誰も教育してないんじゃないでしょうか。だから高校野球は「試合終了の最後の瞬間まで全力で頑張る→試合終了と同時に泣き崩れる→泣きながら土を持って帰る」という光景を毎年のように再生産しています。

彼らの姿は70年前に終戦の玉音放送に泣き崩れるモンペ姿の日本人と重なります。高校球児達と同様に、「負け方」や「負ける可能性」について考えることそのものが当時の日本では徹底的に忌避されていました。そして、太平洋戦争当時の旧日本軍の兵士は「負ける可能性」を一切考慮しない無謀な計画の下に海外に送り込まれ、そのうちの60%の兵士は戦病死(直接戦闘ではなく病死や餓死によって従軍中に亡くなる)だったそうです。
例によって内田樹先生の話ですが、内田先生によると「強さ」というのは「連戦連勝する能力」のことではなく、「負けしろ」の大きさによって計量されるべきなんだそうです。こういう観点で見ると戦時中の日本軍の「連戦連勝して現地で次々と都合よく物資を調達できること」という牧歌的な前提の上に立案された計画には負けしろなんて一つも無かったわけです。そして、実際に負けしろの大きかったアメリカ相手に最終的にはボロ負けしました。これが太平洋戦争です。

今年も甲子園に負けしろを持たない高校生が集まります。彼らが負けて泣き崩れている様は、負けしろを全く持たなかった旧日本軍の兵士を慰霊/呪鎮するために上演される「能」として機能しているのではないでしょうか。そう考えると終戦記念日とお盆の時期をまたぐように夏の甲子園の日程が組まれていることにはそれなりの意味があるように思えるのです。
終戦記念日の正午には甲子園にサイレンが鳴り響き、しばらくの間試合を中断して黙祷が捧げられます。なぜ高校野球の試合を中断してまでサイレンを鳴らして黙祷するのか?と昔は思いましたが、高校野球と旧日本軍の戦没者は「負けしろ」の無さで繋がっていたのです。