これを書いている現在、2026年のシルバーウィークの真っただ中です。ザコ管理職の僕は9月上旬に海外出張+人事評価等ですごく忙しくて、やっとこさ一息ついています。さて、そんなシルバーウィークですが、アジア競技大会について秀吉のコスプレを韓国から非難されることに始まり、ここ数日は仕切りがあまりにひどいと各国から苦情が出ています。この件について日本のテレビはあまり報道していないようですが、僕のXこと旧Twitterのタイムラインはここ数日この件についてのポストがメイントピックになっています。
まず秀吉について。これは、自国の歴史の負の側面をちゃんと教えないからこんなことになるのだと思います。正確に言えば秀吉の朝鮮出兵は日本の学校教育でも教えている(と思う)のですが、日本人の肌感覚としての歴史観は江戸時代より昔は「今に直接つながっていない過去」として大雑把にくくられているところがあるのではないでしょうか?例えば旧日本軍がアジア諸国に迷惑をかけたことくらいはある程度の認識があって、アジア大会という場でそれを想起させるようなことをわざわざしない程度のコモンセンスはさすがに今の日本人にもあると思います。しかし、秀吉の朝鮮出兵はそのような問題意識の外側にあったのでしょう。少なくとも、あの演出を考えて実行するに至るまでのプロセスに、問題意識を持てるような人が誰もいなかったのでしょうね。
そしてアジア大会の仕切りがひどいという話ですが。ホテルに入れずに空港で雑魚寝を強いられたとか、試合前の練習時間を作れなかったとか、足を延ばして寝れないようなひどい宿舎をあてがわれたとか…かなりひどい状況になっているようです。そしてこれらの原因として、「万博を仕切っていたのと同じ会社がオペレーションを担当している」「電通は最悪だがこのような場を仕切るノウハウは持っていて、電通を外したからこんなことになった」といったポストがXこと旧Twitterには溢れかえっています。日本の行政が「パンとサーカス」のサーカスとして打ち出すイベントと、その権益に群がる有象無象との関係が背後にチラついている様子がうかがえます。
東京オリンピックの時に「おもてなし」とか言ってはしゃいでた方々は、この状況をどう見ているのでしょうかね?あの頃の日本人は辺境民としての自国文化の特異性に気づかないまま、「おもてなし」が自分たちのアイデンティティとして世界に受容される美徳だと信じて疑っていなかったと思います。彼らは今、アジア競技大会のオペレーションの問題についてどのように思っているのでしょうかね?本当に「おもてなし」が自国文化の美点であると信じているのであれば、あまりにお粗末な状況に対して耐え切れずに市民として何かしらの行動を起こさずにはいられない…という状況であるはずだと思いたいです。
あまり言いたくはないのですが、今回のアジア競技会の件は日本がすごい勢いで劣化していることを示す一つの兆候のように思えてならないです。こういう「あ。こんなこともちゃんとできなくなったんだ」という綻びは、その背後にあるシステム全体の劣化を示す兆候だと思います。どんなに中抜きされようが、ちゃんとそれなりのアウトプットは出せていた時代は色々問題がありながらも日本はまだマトモだったと思いますが。中抜きが私腹を肥やすだけでアウトプットがお粗末になるような「ろくでなし」国家に日本は向かいつつあるのではないでしょうか?
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